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……… 眠れない…。 これで何度目になるだろう、静寂のなか薄暗い部屋で、彼が眠っていた布団に包まれ、目を閉じる……。 しかし、瞼の裏には記憶が映しだされ、彼の顔が画面いっぱいに広がる。 なぜだろう?気が付くと、彼のことばっかり考えている。 これはエラーなのだろうか? なぜこんなにも私の睡眠機能を妨害されるのだろう。 そんなことを考えていると、いつのまにか眠ってしまったようだ。 「ふふふ。長門さん、好きなんでしょ、彼のこと」 好き…?たぶん違うと思う……。 「そう、まあそのうち分かるわよ。自分の気持ちに…」 朝。太陽の光がカーテンの無い窓からさしこんできて目を覚ます。 今日は、不思議探索の日ということで軽く朝食をとり、家を出る。 着替える必要はない、いつもの制服で十分だ。 でも、私服で行ったら彼が喜ぶかな……。 いけない、またエラーだ。 集合時間15分前、いつもの駅前に到着する。 彼はまだのようだ。 「おはよう有希!」 「お、おはようございまぁ~す」 「おはようございます、長門さん」 三人ともあいさつをしてきた…。 私は軽く会釈をする。 しばらく待っていると、彼がやってきた。 「遅い!罰き…」 「はいはい、分かったから」 彼はもうあきらめがついているようだ。 そうして、いつもの喫茶店に入る。 私は、注文した飲み物を飲みながら、彼といっしょになればいいなと毎回考えていた。 そして、涼宮ハルヒのクジを引く、私は無印だ。 彼は…、私と同じ無印だった。うれしい。 他の人は、古泉一樹が印入り、涼宮ハルヒが印入り、そして朝比奈みくるが無印だった。 (あら、残念ね。二人きりじゃなくて…クスクス) 別に残念とは思っていない。 こうして、彼と朝比奈みくると私で不思議を探すことになった……。 とはいっても、探す気なんかないことはみんな同じだろう。 「いい!デートじゃないのよ!鼻の下のばしてんじゃないわよ!!」 そう言って彼女は歩いていった。古泉一樹がやけにニヤニヤしているのはなぜだろう? 「朝比奈さんはどこか行きたいところありますか?」 彼は彼女にきく。 「いえ、特には…」 「そうですか、長門はどうだ?」 彼がたずねてくる。図書館と言いたいが、今は朝比奈みくるもいるのでやめておく。 「……ない」 私は彼の顔を見ずにこたえた。 「…そうか」 彼は少し困った様子で、 「じゃあそこらへんをブラブラしてますか」 「はい」 そんなやりとりが交わされて、私は彼の後ろについて歩いている。 彼は、朝比奈みくると会話を楽しんでいる……羨ましい。 私も情報伝達能力がもっと高ければ―――。そんなことを考えていると、いきなり話がふられた。 「長門も鶴屋さんの小説おもしろかったよな?」 「…………」 私はこたえることもできず、ただうなずくことしかできなかった。 (ふふっ、手でもつないでみれば?) そんなことはしない。 (恥ずかしがることないのよ。早くしないと涼宮ハルヒにとられちゃうわよ) …………。 そんなことをしているうちに、集合する時間がやってきた。 駅前につくと、もう涼宮ハルヒと古泉一樹が待っていた。 「ふん!じゃあクジ引きするわよ」 彼女はイライラしているようだ。 みんながクジを引く、私は印入りだ。 彼は…印入り。今日は運がいいらしい、彼は私を見ると微笑んでくれた…。頬が熱くなるのを感じる。 あとの三人は無印だった。 みんなと別れる。行くところは決まっているも同然で、彼がたずねてきたときは、 「図書館」 と即答した。 私は彼の後ろについて歩いている。 会話はしないけれど、二人で歩いているだけで幸せな感じだった。 (たまには、図書館じゃなくて映画館とかもつれてってもらえば?) …………。 (せっかくの二人きりになれたのよ。それにこれはデートと変わらないわよ) …………。 (涼宮ハルヒのことなんて気にしないで、ホテルでも行っちゃえばいいのに) うるさい。 お互い無言のまま、今では行き慣れた図書館についた。 人影も少なく、冷房のきいた閑静な室内に足を踏み入れる。 私はこの空間がとても好きだった。 私は、本を手にとりその場で立ち読みをする。その間、彼はだいたいは眠っている。 (ねえ、彼の近くで読んでみたら?肩によりそったりして) ………///。 本を読んでいるとすぐに時間がすぎる…。 彼が、私に帰ろうと言ってきた。私は彼の肩から頭をどかし、図書カードで本を借りた。 私は図書館で借りた一冊の本をもって彼と並んで歩く。なんだか楽しい。 いきなり彼がこっちを向く。どうしたのだろう?と思っていたら、無意識に手を握っていたようだ。 (やればできるじゃない、ふふふふっ) 「長門どうしたんだ?」 別に…。 「おい、ハルヒに見つかったらまたうるさく言われるぞ」 …いい。 「…やれやれ」 私は不安になり、彼にたずねる。 「…嫌?」 「そっ、そんなことないぞ、うん。どっちかっていうとうれしい」 「…そう」 私は彼の言葉を聞いて、安堵した。 できることなら彼とずっと一緒に……。 そんなことを思いながら私は、握る力を少しだけ強くしていた…。
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何も無い晴れた土曜とはなんと清々しいものだろう。 暇を持て余している一般ピープルどもには土曜日に予定が入っていないなどつまらないと思うかもしれないが、俺にとっちゃこの平穏な一日がパラダイスなのさ。 いつもパトロールと称して俺や長門、朝比奈さんに古泉、そして我が団長様の涼宮ハルヒが揃ってぞろぞろとUMA探しをしていることに比べたら、この何も無い土曜日をパラダイスと呼んでも大袈裟ではないだろ。 ここ暫らくはハルヒも落ち着いていて古泉曰く神人狩りの召集もないらしく、まったく何よりだ。 何も無い日がパラダイスとはいえ、家にじっとしていても我が妹に古くなったビニールテープを剥いだ後のようにベタベタとされるだけなので、俺はブラリと散歩ついでにコンビニに非難しに来たというわけさ。 別に買いたい物や読みたい本が有る訳では無いのだが、金を使わずに暇をつぶすにはもってこいな場所だ。 しかしながら、たまに週刊誌なんぞに目を通すと結構面白いもので、俺が熱心に週間誌に目を走らせていると、後ろから視線をジッと送られている事に気付いた。 振り返ると、そこには学校がとうの昔に終わったというのに我が北高の制服に身を包んだ154センチの小柄な体格にシュートヘアーをさらに短くした髪、淡雪のように白い肌、意外と整った顔立ちをし黒曜石のような目を持つ少女が微動だにせず立っていた。 「長門、お前か…こんな所で何やってんだ」 「買い物」と、凝固した表情で口だけが動く。 そりゃそうだろ、一応コンビニってもんは買い物目的で来る客が大半だろうからな。 「そうか、じゃぁ何を買いに来たんだ」 「…夕食」 「まさか、夕食はいつもコンビニ弁当なのか?」 十四秒の沈黙ののち、一言「…そう。」と言った。 長門よ放送事故ギリギリのタイムだぞ。 「それじゃ体に悪いだろ。自分で作ったりしないのか?」 「一人分を作ると、不経済。お弁当の方が経済的」 そう言って何か言いたげに俺をじっと見つめる長門。 そうだよな、一人の部屋で一人分を作り自分で食べる。どんなに美味しく作っても一緒に食べる相手が居ないんじゃ味気ないか。 「長門、暇なら俺と飯でも食いに行かないか。まだ、弁当買ってないんだろ。たまには外で晩飯ってのもいいもんだぞ。」 そういう俺を更に見つめコクンと顔を前に三ミリ倒した。 「でも、まだ晩飯まではちょっと時間があるな。その辺ぶらついてから食いに行こうぜ」 そう言って俺は週刊誌を棚に戻し雑誌コーナーを後にした。 それにしても、見てたのが隣の大人の魅惑コーナーじゃなくて助かったね。別に長門なら何も言わないだろうが、俺の心は純真無垢…かは分からないが、イチ高校生なのだ。 見ている現場を誰かに見られたら恥ずかしいという気持ちくらい持ち合わせている。その反面興味も勿論ある。 などと思ってたら、長門の目が俺や雑誌コーナーではなく、隣の魅惑コーナーに向けられていた。 「こういうの好き?」 何てこった、このトンデモ娘はいきなり答え辛い事をサラっと聞いてきやがった! しかも周りには他の立読み客も居てチラチラとこっちを見てやがる。 長門よ勘弁してくれ。それに情報統合思念体はエロ本なんて物に興味は無いと思うぞ。 それとも何か?お前個人として興味があるのか?それはそれで結構だが、その本は長門にはまだ早いと思うぞ…。って、手に取ってるし! 「これ、購入。」と言ってレジに向かおうとする長門の制服の後ろを捕また。 「な、長門それはな、十八歳未満は買えないんだ。」 「なぜ?」といって不思議そうな目をして首を横に傾ける。 「説明は後でしてやる、だから今はそれを置いて移動しよう。」 「わかった」 俺は長門の手を掴むと、立読み客の意味あり気な視線を一身に浴びながら、そそくさとコンビニを後にした。 長門は手を引っ張られ、いつもより少し早足で後ろをついて来る。 SOS団のたまり場の喫茶店から少し離れた喫茶店でやっと一息ついた。 何故いつもの喫茶店じゃないかって、そりゃ朝比奈さんや古泉に会う可能性だってあることだし、あのハルヒに会う可能性だって大いにあるわけだ。 いや、こういう状況下なら、何故か会ってしまう事の方が可能性大であろう。 そりゃやましい事など何も無いのだから、ハルヒに会ってもかまわんのだが、いちいち説明をせにゃならんのが面倒だし、ハルヒが俺の説明を素直に聞くとも思えん。 なにせあの団長様の頭の中には俺の意見は自動的に却下されるようプログラムされているらしいからな。忌々しい! 兎にも角にもだ、喫茶店の奥の席に座り俺はコーヒー、長門はハーブティーを飲みながら、さっきの大人の魅惑本について当らず触らずの説明を長門にしてやった。 本当なら「アレがどんな本か知っているのか?」や「興味があるのか?」「見たことがあるのか?」など色々と聞いてみたかったが、ただのセクハラ親父になりそうだったので、これらの質問をするのはパスした。 長門は時折、首を数ミリ横に傾けていたが最終的には納得してくれたようだ。 黄昏色に染められた喫茶店の横をいそいそと帰路へつくサラリーマンが増える中、俺と長門は図書館に向かった。 やっぱり長門を安全に時間つぶしさせるなら図書館が一番だろうと考えたのだが、それが甘かった。俺の学習能力の欠如だ。 時間をつぶすどころか、ハルヒ達と初めて駅前パトロールをした時のように、床に根をはやした長門はその場から動きゃしねー。 そろそろ、飯にも良い頃合だと思い長門に声をかけても、無言…。いつものように分厚いハードカバーの文字に目を走らせ時折ページをめくる為に手を動かす。 こいつは分厚いハードカバーしか読まんのか。と思っちまうぜ。たまには漫画や絵本なんかを読んでみてはどうだと薦めたくもなるね。 そんな事を考えているとフッと頭に浮かんだのが、長門に官能小説を薦めたらどうなるだろうか?と興味が湧いた。もちろん市民図書館にそんなものは置いてあろうはずもなかったが、珍しく文字本ではなく写真本と言っていいのだろうか?とにかくエロ本には興味を示したのだ。官能小説にだって興味をもっても可笑しくは無い。というより、こっそり読んでたりしてな。 長門よ、宇宙人製有機アンドロイドも一人身体をもてあます事もあるのか?あのハルヒでさえたまに身体をもてあます事もあると言っていたように…。 長門の自慰行為…だめだ、想像できねー。 “ハッ!”長門のブラックホールのような目がいつの間にか本から俺へと突き刺すように向けられていた。 「自慰行為?」 しまった、いつの間にか声に出しちまったか! 「いや、なんでも無いんだ。気にするな。独り言だ、妄言だ。」 長門の眼が俺の瞳孔の奥のさらに奥を捉えて放さない。 俺が取り繕っていると蛍の光が俺を救うかのように広々とした図書館に流れ始めた。助かった… 長門は読みかけのハードカバーを両手で抱えている。「それ借りるのか?」と聞くとコクンと頷いた。 閉館間際の人のまばらになった図書館内をテトテトとした足取りで貸し出しカウンターへ向かう。 カウンターに向かう途中で、長門が一言「たまに…」と言った。 気のせいか色白の長門の耳がほんのり色付いている様に見える。 それにしても何が『たまに…』なんだ、長門よ。 図書館を出ればもう、夜の九時を回ろうとしていた。俺はまず自宅へ電話をし、帰りが遅くなる事を伝えた。 「長門、そろそろ腹も減っただろ?俺はもう腹と背中がくっ付いちまいそうだ。飯食いに行こうぜ」 そう言って歩き出す俺に長門もハードカバーの入った貸し出し袋を片手に持ち俺の横を歩き出す。 少し歩いたところで、俺の手にちょんちょんと軟らかいものが当る気がしてスッと目をやると長門の手が不自然に宙を漂いながら俺の手に触れていた。 俺が気付いた事に長門が気が付くとサッと手を引っ込め両手で貸し出し袋を抱えた。表情はやや俯き加減でよく見えない。 「なんだ長門、俺と手を繋ぎたいのか?」 横をひょこひょこ歩いている長門は肩をピクンとさせ、貸し出し袋を持つ手にやや力がはいった。 ただし、俺にしか分からないナノ単位の動作だったが。そして俯き加減の長門は顔を左右に振った。 滅多に見れない無感情長門の感情。しかも女の子としての反応である。こんな長門を見るのはあの世界改変後の長門有希以来か? ハルヒや古泉の前では見せない反応。俺だけに見せてくれる反応。それはそれで得した気分だが、普段でも見せてもらえれば俺も部室に行く楽しみが増えるってもんなのだが… そんな事を考えつつ、俺は貸し出し袋を抱える長門の手をギュっと掴んだ。長門は微かに本当に微かに「あっ」と声を漏らした。 夜の街を照らす外灯下を手を繋ぎゆっくりと歩く二人。長門も繋いだ手を少し握り返していた。 それなりにムードがあったとしてもそこはそれ、二人とも金銭乏しい高校生であることに変わりは無く、しかも長門は制服姿である。 入れる所といえば必然的にファミレスとなるのを誰が咎められよう。 ファミレスに入った俺と長門は店員に中央の席に案内された。 「店中央の席かぁ、なんだか目立っちまうな」 「見られるの嫌?」と、少し寂しげに長門が言う。 「長門が気にしなければ、俺はかまわないさ」と言ったものの、本当は団員や顔見知りに見つかるんじゃないかと内心ヒヤヒヤものだった。 「大丈夫、私は気にしない」と言って長門は案内された席にちょこんと腰を下ろした。 メニューをじっと見つめる長門… 「今日は俺のおごりだから好きなもの頼めよ」 というより、いつもハルヒに何だかんだと言われSOS団全員の食事代を肩代わりしているようにも思えるが、今日は遠慮ってものを知らないハルヒやあのニヤケ野郎の古泉が居るわけではないので心の苦痛ってものは無い。ただし朝比奈さんなら、いつでも、おごりオッケー! 今日は長門一人だから出費もたいしたこと無いな。 この時、俺は予想外出費になることなど露ほどにも思っていなかった。 五分ほどメニューと格闘し、俺は店員をベルならぬプッシュボタンで呼んだ。 「お待たせしました。ご注文をどうぞ。」と言う店員に俺は、ハッシュドビーフハンバーグのAセットを頼み、長門はミックスグリルCセットとミックスピザと季節野菜のサラダと鶏の唐揚げを指差す。 「おいおい、長門そんなに頼んで大丈夫か?食えるのかよ。」 「育ち盛り」 今のは、長門なりのジョークなんだろうか?それにしても見誤ってたな、長門をただの小柄な女子高生だと勘違いしていた。 そういえば孤島でも結構食ってたな。宇宙人製有機ブラックホール恐るべし!! 注文した食事を待っている間、長門はゴソゴソとさっき図書館から借りてきた分厚い本を取り出した。 「長門よぉ、飯食いに来た時くらい読書は止めたらどうだ。何か話そうぜ。」俺はやれやれといった表情で長門を見つめる。 取り出した本をまた元に戻し、長門もブラックホールのような吸い込む眼差しで俺を見つめる。 「・・・・・」 「・・・・・」 緊迫した状態でも無いのに凍りついた時間が二人の間に流れる。 正直、たまらない…。 俺は凍りついた海を進む砕氷船の船長の如く、この状況を打破すべく話しをきりだした。 「長門はテレビとかは見ないのか」 「あまり」 「クラスで仲の良い友達とか居るのか」 「とくに」 「あー…、最近体調は~」 「悪くない」 「・・・・・」 「・・・・・」 「悪かった、本を読んでて良いぞ」 「そう。」 我が砕氷船はタイタニック号の如く氷山に沈没させられてしまった。 だめだ、会話が続かん。さすがは文芸部付属の置物的存在だ。 どうやったら会話が続くのか…というより、どうやったら一行以上喋らせる事ができるのか誰かご教授願いたい。 長門は借りてきたハードカバーの文字を部室と変わらず目で追う。俺はそんな長門をぼーっと見ていた。 暫らくすると、次々と料理が運ばれテーブルを埋めるように並べられていく。ほとんどが長門の食い物だがな。 「腹減っただろ。食おうぜ。」 長門は頷くと小さな声で「いただきます。」といって、食事を始めた。 淡々と一定のリズムで食材を口に運ぶ長門。みるみるうちに料理の下から白い皿が姿を現す。もちろん会話は無い。 無表情娘も会話をしながらゆっくり食べれば、それはそれは可愛い娘なのだが。 しかし、周りから見ると俺達二人はどう映っているのだろうか? 無言に食事をする姿は、やっぱり別れ間際のカップルに見えてもおかしくは無いだろう。何か残念に思えるのは何故だ。 俺が完食するちょっと前には、長門は既に皿を綺麗に空けていた。そして俺の皿を見つめている。その瞳は、まだ何か食べたそうな目である。 「長門、もういいのか?食べたい物があれば頼んでいいぞ。」という俺に、長門は少し躊躇しメニューの後ろの方に書かれていたチョコレートパフェを指差し「これ良い?」と聞いてきた。 食後にチョコパフェ。なんとも女の子らしいデザートじゃないか。 長門のチョコパフェを食べる姿なんて、そうそう見れるものじゃないからな。 おそらくSOS団メンバーの前では絶対に食わんだろ。俺だけの役得ってやつだ。 これだけでも今日おごったかいがあったってもんだぜ。 長門はチョコパフェを食べ、俺はコーヒーをまったりとして喉に流し込む。驚いた事にチョコパフェを食べる長門は先程の淡々とした食べっぷりとは一転して会話は無いもののゆっくりと細いスプーンで小さな口に運んでいる。 「パフェ美味いか?」 「とても」 俺は長門を見ながら、こいつもこうしてれば普通の女子高生と変わらないな。などと思いチョコパフェを食べる姿をじっと見つめていた。 長門は見つめる俺に気付き「なに?」と顔を上げた。 クスっと笑い「長門、口の周りにクリーム付いてるぞ」とハンカチで拭いてやる。すると長門は一般人が見逃すくらいの照れた表情で、下を向き「ありがとう」と言うと残りのパフェをゆっくり口に運んだ。 食事も終わり長門と何かを話すわけでもなく、ただ時間だけが流れて行く。 水の減っていないグラスに店員が水を汲みに来る、つまり“帰れ”という意思表示だ。 「長門、そろそろ帰るか。」と言って俺はレジへと向かい、長門は本を貸出し袋に入れて俺の直ぐ後ろを付いてきた。 食事代は嵩んだが、長門のパフェを食べる姿は食事代以上の価値があるように思うね。 ファミレスと出ると、もう行きかう人々はまばらとなっていた。 「早えーな、もう十一時過ぎてんのかよ。悪かったな長門、遅くなっちまって」 長門はいつものように無言で顔を左右に振る。 電車に乗り、ちょっと遠回りになるが長門を家まで送った。 長門を一人で帰しても襲われる心配はないだろうが、というより襲ったヤツの命の方が危険なのだが… 兎に角、見た目はか弱そうな女子高生なのだ、何も知らない男が欲望に任せて自分の命を危険に晒さない様に俺が送り届けると言う事がマナー(人命救助)ってもんだろ。 幾度も足を運んでいる高級分譲マンションの前まで送り届けると長門は「今日はありがとう。とても嬉しかった。私はあなたにとても感謝している。あなたに何かお礼がしたい。」 単語を並べたような言葉。しかし今回の言葉は長門にしては珍しく長文の部類に入るものだった。 「お茶…飲んでいって…約束だから」 「でも今日はもう遅いからな。」…約束してたっけ? 「だめ?」 俺の二十センチ側で見上げる長門。その見つめる瞳は全てを取り込んでしまいそうで、それでいて儚い眼差し…長門、その技はあまりに反則だぞ! もちろん、こんな魅惑的技をかけられた俺が招待を断る術も理由も持ち合わせてなどいるわけもなく、お茶だけならと招かれる事にした。これまでも長門の部屋には何度も押しかけているしな。 708号室の扉を開け「上がって」と長門が俺を招き入れる。 長門のほうから家に招かれたのは、出会って間もない頃に栞で公園に呼び出されたのちにココに連れて来られて、情報なんちゃら体だの対有機なんちゃらヒューマノイド・インターフェースだの永遠とデンパ話しをされて以来だな。 今では平然と宇宙人・未来人・超能力者と付き合っているが、あの頃の俺は無垢な一般ピープルな高校生だったのさ。 何度来てもあいかわらず殺風景な部屋だな。リビングルームに冬にはコタツとなるテーブルが一つポツンと置いてあり、隣には俺と朝比奈さんが三年間眠り続けた客間。大きなガラス戸にはカーテンも無く無用心この上ない。 「長門…、カーテン付けないのか?」 ガラス戸をじっと見つめ「この方が良い」と一言言うだけだった。 カーテンを付けない事には何か理由があるのだろうか? 「なぁ長門、夜景でも眺めているのか?」窓辺に立ち俺が質問すると、一言「ユキ…」と言った。 「ユキ?」 「そう雪。冬には雪が降ってくる」そう言うと長門は俺の横に立ち今から暑くなっていく空を見つめた。 俺は「そうか…」としかあいづちを打ってやれなかった。 長門は俺の方に向き直すと「お茶入れるから、座ってて」と言い台所へと向かった。 テーブルに座る俺にほうじ茶を入れる用意をしてくれる無駄な動作の無い小さな後姿。見れば見るほど、人形のように思えてくる。 コンロにケトルをかけ、一旦テーブルに戻ってきた長門は俺の目の前に座った。 音の無い時間が一秒一秒過ぎていく。 俺を見つめる長門は何か言いたげだった。こういう場合俺の方から何か話しかけた方がよかったのだろうが、話題がまったく浮かんでこない自分が嘆かわしい。 止まっていた時間を再始動させるが如く“ピ―――”っとケトルが沸騰の合図を送り、蒸気を三次元空間へと放出する。 それを合図に長門はスッと立ち上がり音も無く台所へ足を滑らせ、ケトルからポットへお湯を移しテーブルへと戻ってくる。その動きには、やはり無駄というものが無く、端麗ささえ漂っている。 お茶の葉を急須に移し、お盆の上に乗った口の広い御客様用湯飲みに熱々のお茶が注がれた。 初めて来た時は駆けつけ三杯、俺の向かいに座った状態からお茶を勧められたが、今日はお茶を入れた後一旦立って俺の横まで来て「はい、飲んで」と勧められた。 SOS団の麗しのエンジェル朝比奈さんが入れてくれるお茶は当然の如く格別なものだが、SOS団…いや文芸部のアンティークドールたる長門有希が俺のために入れてくれるほうじ茶も香ばしくかなり美味だと思うね。谷口に話したら卒倒してしまうほど悔しがるだろうな。 俺は、差し出された熱々のお茶をズズッと少しづつ口の中へと流し込む。 「おいしい?」 以前にも同じセリフを聞いた様な気がするが… 「ああ……」 そして、その時もこう答えた気がする… 「部室で飲むお茶より、おいしい?」 “ぶっ!” 「うわっ、熱ち熱ちち!」長門の思いもよらない言葉に俺はお茶を溢してしまった。上半身も、ズボンも共にビチョビチョだ!しかも今し方湧いたばかりの熱湯でたまったもんじゃない。 「うお~!熱つ、熱つ!長門、何か拭く物貸してくれ。」 長門は慌てて別室へ行き、タオルを持って小走りに帰ってきた。 「大丈夫?」そう言って濡れた服とズボンをタオルでパタパタと拭いてくれた。 パタパタ… パタパタ… パタパタパタパタパタパタパタパタパタ… あぁ長門、そんなにパタパタと刺激されたら俺の元気印が… て、やべっ!本当に勃ってきた。 そう思った次の瞬間には俺の股間に突貫工事でエッフェル塔が建築されていた。 パタ…長門の拭く手がエッフェル塔を押さえつけるように止まった。その部分をじっと見つめると、ゆっくり無機質な瞳が俺を覗き込んできた。俺はとっさに顔を背ける。 また、時間が止まり静寂という時が流れる。 長門の手が俺自身に触れているという思考(おもい)と伝わって来る感触が陶器の硬度からダイアモンドの硬度へと一気に変えていく。 俺は顔に大量の血液が激流のごとく巡って行くのがよくわかった。 「す、すまん長門。手をどけてもらってもいいかな?」 「陰茎海綿体内への大量の血液流入による膨大硬化状態。一般的用語で言うところの“勃起”を確認。あなたは今、性的興奮状態にあると考察する…違った?」そう言いながら長門は手を退けた。 俺は長門の言葉に無言のまま、情けない体勢を元に戻せず顔を背けたままのどうする事も出来ずにいた。 静寂な時間は、気まずい時間へとかわり二人をべっとりと包んでいく。 ゆっくりと体勢を元に戻し「俺、そろそろ帰るわ。お茶溢して、すまなかった…」 そういうと、まともに長門の顔を見れないまま逃げるように俺はビチョビチョのまま玄関へ向かった。長門も俺のすぐ後ろをついて来る。 玄関まで来て、靴を履こうとすると、長門がズボンの後ろを引っ張った。 “びちゃ”…つめてぇ~「何すんだ長門」 「待って、あなたの服はびしょ濡れ。原因は私にある。お風呂すぐ沸くから入っていって。明日になれば服も乾く。」 「それって、泊まっていけって事か?いくらなんでも、それはマズイだろ。」 「マズイ?」 「ほら俺達まだ高校生だし、誰もいない部屋に男女二人っきりってのはやっぱり…」俺は、なんだか初々しいカップルの様な答えをしてしまった。 「私はかまわない。ダメ?」 …いや、長門よ、お前がかまわなくても俺がかまうんだ。わかるだろ。 「スマン。やっぱ、帰るわ」 長門はこの答えに無言だった。ズボンの後ろを掴んでいた手が力無しげに外される。背中から伝わってくる寂しい雰囲気は長門の顔を見なくても、痛いほど伝わってくる。 俺は男として、このまま帰ってもいいものだろうか?何も無いにしろ(いやある筈も無いのだが)誰かに知られては、ただでは済みそうに無い。 学校に知られれば停学くらいはくらうかもしれん、ハルヒになんぞ知られた日にゃどんな事になるか想像もつかん。 俺もこんな時間に女の子一人の家に上がってしまった時点で何かある事も予測すべきだったのかもしれん。でも、せっかくのチャンス…いや好意を無下にする必要もないのでは?ばれなきゃいい事だし、長門なら情報操作だのなんだので上手くやってくれるかもしれん。 俺は泊まるべきか、帰るべきか脳内では一進一退の攻防が行われていた。 そして振り向きながら俺の口から出た言葉は。 「やっぱり。泊まっていってもいいか?」きっとその時の俺は何かを期待していたに違いない。 長門は消えてしまいそうなトーンで「いい。」と一言発した。しかし、その顔からは寂しいという雰囲気は消え恥じらいの表情さえ伺えて見えたような気がした。 いくらなんでも無断外泊というのは後々面倒になりそうだったので、家に連絡を入れ国木田の家に泊まるような嘘を言った。幸いな事に妹は既に夢の中だったらしく、あれこれ詮索されずにすんだ。 嘘をつく事に後ろめたい気持ちが無いわけでは無いが、面倒を背負い込むよりはマシだろう。 「今、お風呂を入れてるから、少し待って」 そう言った長門を見ていると、部屋を右から左へ、左から右へさっきまでの長門とは別人のように無駄な動作をしている。 いったい何をあたふたやってるんだろうね、この娘は… 「おい、いつものお前らしくないぞ。座って本でも読んで落ち着いたらどうだ?」 ゼンマイが切れたロボットのように、はたっと動きを止めたかと思うと、スムーズかつ静かに首から上を俺に向けた。俺を見つめる液体ヘリウムのような目をした長門を見て安心した。いつもの長門に戻ったようだ。 実はこの時の“元に戻った”という俺の考えはハズレていたのだが… 俺の意見に同調したのか、ひょこひょことテーブルの前まで来るとちょこんと正座をしてテーブルの上に置いてあった本の栞を挟んだページを開いた。 長門が本を読み出すと、必然的に俺は一人放置プレイとなるわけで、風呂にお湯が溜まるまでのこの無音な空間は俺には絶えがたい。 「長門、何か雑誌とかあると助かるんだが…」 長門は本から目を放さず、ただいつものように指を指すだけだった。指した先には長門の勉強机がありその上にいくつかの雑誌が積み重ねてあった。雑誌は女性ファッション誌であり見ても俺には面白そうにも無い。 驚きなのはいつも制服姿の長門もファッション雑誌に興味があるということだ。 長門の私服姿を見れるのは休日にSOS団のイベント事で呼び出された時位だけみたいだからな。普通の休みの日でも、もっとオシャレする事でも勧めてみるか。 ふっと前を見ると整理整頓され、きっちりと並べた辞書や参考書の中に赤い背表紙のアルバムらしき物を見つけた。長門のアルバム?4年余の人生…いや入学するまでは待機モードで一人この部屋に閉じこもっていたはずだ。 いや正確に言うと隣の客室には俺と朝日奈さんが寝てたわけだが…それは、どうでもいいか。 すると、入学してからの写真なのか?それともSOS団の写真か? そう考えていると中の写真が気になって仕方がなくなってしまった。 「よう、長門。このアルバム見せてもらっていいか。」 アルバムを手にとって言う俺に、長門は“ハッ”とした表情で俺を見ると、読んでいた本を床に放り出しパタパタと駆け寄ってきた。 「だめ。それ、見ちゃだめ。」 突然の長門の振る舞いに、俺はアルバムを待った手を上に上げてしまい、身長154センチしかない長門はぴょんぴょんと飛び跳ねてアルバムを取ろうとする。 焦りと恥かしさと切なさが入り混じったような複雑な表情がまた可愛らしい。 「わかった!わかったから、長門飛びつくな。おわっ!」 “ズダーーーン” 俺と長門は大きな音を立てて倒れこんでしまった。 「痛てててて…、長門怪我は無いか?」 「大丈夫。あなたが咄嗟にかばってくれたから、怪我は無い。」 身を起こした俺の顔の真下に整った長門の顔があった。それは互いの息が感じられるくらいの短い距離。長門の薄い唇が軽く開き息がもれ、俺の鼓動は一気に加速していく。こうなってしまえばブレーキを踏んでも、そうやすやすとは止まれそうにもない。 しかし、なんの偶然かそれとも神様の悪戯なのか、床に落ちページを開いたアルバムがチラリと目に入ってしまった。その事に長門も気付いたのか、次の瞬間俺は何故か天井を見ていた。 ・・・長門は何処だ???どうやら俺は急ブレーキではなく、事故停車したらしい。 首を上げるとそこには床にぺたんと座りアルバムを抱えている上下さかさまの長門の後姿があった。 よいしょと身を起こし長門の側へ行く。 「すまなかったな長門…」そう言う俺に、長門は顔を振り向かせ「これはダメ。秘密。」とちょっと怒った感じに言う。…でもスマン長門。アルバム見ちまった。 アルバムにはハルヒの命令で写真係りとなった朝比奈さんの撮ったSOS団の活動記録なるものと、それとは別にいつの間に撮ったのか俺の写真のページがあった。 あれは、ハルヒや朝比奈さんが撮ったものとは違ったように思えたが、やはり長門… お前が撮った写真なのか。でも、いつの間に…。 それにしても何故俺なんだ?他のページにはハルヒコーナーや朝比奈コーナー、古泉コーナーなんかもあるのだろうか? 長門はアルバムを胸に抱き、机の引き出しに大事にしまい込む。と、同時に『オフロガ ハイリマシタ』と電子音声がリビングに流れた。俺は追い立てられるように風呂場へと向かわされる。 脱衣所には洗面台と洗濯機に乾燥機、二段式脱衣籠などが置いてある、何の変哲も無い脱衣所だ。 俺を追い立てて後ろからやってきた長門は脱衣籠の上の段を指した。 「男性用下着は家には無い。これで我慢して。それと歯ブラシも置いておく」 指を指した先にはバスタオルと見覚えのある北高マーク入りの紺のジャージのみが綺麗に畳んで置いてあった。 つまり俺はノーパンでジャージを着て一夜を過ごす事が決定された。 「わるいな長門。シャージ有り難く使わせてもらうよ。」 「かまわない」 「・・・・・」 「・・・・・」 二人の間に沈黙が流れる… 「あのー長門さん、俺今から風呂に入るんですけど…」 「どうぞ」 そう言って、直立不動に立っている長門を俺は肩を落とし困り果てた顔で見た。 「どうぞって…服を脱ぐから出て行ってもらっていいか…」 長門は俺を数秒凝視してツーっと脱衣所を後にしてくれた。 体温を奪っていく濡れた服を脱ぎ捨て、風呂場に入ると入口正面には水垢のついていない大きな鏡があり俺の身体を映している、浴槽はこれまた普段使ってるのか?と思うくらいピカピカだし、シャンプーやコンディショナー、ボディソープのラベルが全てこちらを向き整然と並べられていた。 それにしても風呂の自動の湯張り機能ってのはいいもんだな。湯沸しタイプの風呂なんか、ちょうどいい温度と思って入れば下は真水だったりするからな。湯張り機能とまではいかなくとも温度管理くらいはどうにかならないものかね。そうすれば俺は生温い風呂で体を丸めてお湯が沸くまで耐えしのぐ事もなくなるんだがな。 体が温まったところで浴槽を出てボディソープをスポンジに取り、泡立ててから体を擦る。 “ゴシゴシゴシゴシ…” 家ではナイロンタオル型のヤツだから、スポンジってのはイマイチ洗った気がしない。しかも背中が届かない。 洋画なんかでは柄のついたブラシで背中を洗っているシーンがあるが、ここにはそんなものは見当たらなかった。 背中はあきらめて、体からそのまま顔を洗っていると、突然後ろのドアがガチャと音を立てて開いた。 誰だ!!。って、この家には俺と長門しかいないじゃないか。長門以外に誰が来る。 朝比奈さんなら絶対入ってこないな。ハルヒなら蹴り入れられそうだし、朝倉涼子なら何の躊躇も無く背中にナイフを振り下ろすだろう…考えただけでも恐ろしい。古泉だったら…それは別の意味で身の危険を感じる。などと現実逃避してる場合か俺! 待て待て、なぜ長門が入ってくる必要がある。そこまでこの風呂はデカくないぜ。それともお前も朝倉のように俺を殺りに来たのか?ってこれも現実逃避だ。 風呂場に入ってくるって事は、やっぱり俺同様一糸纏わぬ姿だよな。その気があるのか長門よ。理性が飛んじまったら俺は止まる自信がないぜ。 顔を洗っていた事を後悔するね。これじゃ長門の姿を確認できん。 とにかく男である象徴を隠さなければならず、タオルなどは無いので両手で隠すしか方法が無かった。しかも両手を使った事で俺は完全に自由を封じられてしまう形になった。 本来なら叱咤するところなんだろうが、俺は動転しまくったあげく「な、長門か、どうした?何の用だ?」と素っ頓狂な事を平然を装いながら言っていた。 きっと声は裏返り相当マヌケ野郎だったに違いない。 長門は俺の後ろまで来ると「背中流してあげる、あと頭も」と言いスポンジを手に取り、ボディソープを垂らして背中を擦り始めた。 上下する長門の手がいい感じの力加減で、やたらと気持ちいい。 「背中を洗ってくれるのは、ひじょーに有り難い事なんだが…」 「なに」 「いや、その…俺だって健全な男なんだぜ、その風呂場に裸で入ってくるって事がどういう事か分かってるのか?長門、お前だからと言って手を出さないとは限らんぜ」 「大丈夫、私は衣服を着用している。あなたが考えているような姿ではない。あなたは、そのままにしていればいい。」 「ああ、そうかい…」ちょっと期待していた分、安心40%、残念60%だぜ。 そのうちに洗っている場所が背中から頭に移っていた。 うっすらと目を開けて湯気で曇った鏡を見てみると、北高制服の色は確認されなかったように思えた。 痛たたたた。目に石鹸が入っちまった! 俺の頭を丁寧に洗い上げると、「後は、あなたが自分でやって」長門は、そう告げ風呂場から立ち去っていった。 俺は視界を邪魔していた忌々しい石鹸をシャワーで洗い流し、コンディショナーで短い髪をツヤツヤにして風呂に肩まで浸かった。 今日の長門の行動は何なんだ。またエラーの蓄積か?それとも、また世界を改変したのか?しかし俺の周りの奴らに変わったところはなかったぞ。長門は自分だけを改変した?それもノーだ。行動さえ大胆極まりないものだが基本的には無表情・無感動・無口の三拍子揃った長門有希だ。 考えを色々と巡らせ落ち着く事の出来ない風呂を堪能しすぎてしまい、ちょっと逆上せた。うっぷ…。 ふらつく頭で風呂を上がり、脱衣所でしゃがみ込んだ。あー、目眩がする。脱衣籠に目をやると下の段に一枚の白いバスタオルが軽く畳んであり触るとしっとりと濡れていた。 俺はその濡れたバスタオルを使ってもよかったが、せっかく長門が用意してくれた洗立ての香りのいいバスタオルを使用し頭のてっぺんから爪先まで気持ちよく拭きあげると、悪いと思いつつも下着もつけずにジャージを拝借する事にした。 が、途中まで着ようとして、ある事を再確認させられた。長門と俺の体格差がありすぎてジャージが入らない… 無理やり着たとしても、血流を止めて手足を真紫にして壊死させてしまうか、8歳児の洋服を着るビックリ人間さながらにテレビ出演するかのどちらかだ。 どちらも御免被りたいので、結局は濡れた自分の服を着る羽目になるようだ。 せっかく風呂に入ったっていうのに… その内乾きもするだろうと、あきらめて自分の服を着ようと思うと、Why?脱いだはずの服がどこにも無い! そして、目に入ってきたのは洗濯機。 まさかと思いつつも恐る恐る開けてみると、俺の服がポカプカと洗濯機の中で水泳の授業中だった。あまりにもベタだが、泊まらせる為の効果的な手段だ。 しかも俺の服と共に、明らかに男には必要の無い興味をそそられるもの達も一緒に水泳の授業を受けていた。今日の水泳の授業はは男女混合らしい。 良くも悪くも、これでSOS団全ての女性陣の下着を拝んだ事になるわけだ。…やっぱり良いのだろうな。 洗濯機からそれらを引き上げて拝ましてもらいたいという衝動にも駆られたが、そこまで愚行を行ってしまうと、ただの変質者であり、谷口と同レベルに落ちてしまうのでそれだけは避けた。 兎にも角にも現状況を打破するには長門に頼る他はないであろう。元を正せば長門が原因なんだし。 俺は脱衣場から顔だけを出して長門を呼び、長門は返事も無くいつもより歩幅狭くテチテチと歩いてきた長門をドア直前で静止させた。そうしないと脱衣所まで入って来ないともかぎらないからな。 「すまんがジャージが小さくて入らないんだ、他に何か無いか?」そういってジャージを差し出すと、長門はジャージを手に取り久々に聞く超高速早口呪文を唱えた。 「これで大丈夫」そういってジャージを戻された。 「着衣の繊維収縮情報を変更した。オールサイズモード。」 「分かりやすい説明ありがとう。助かる。」 「どういたしまして。」そういい残してまたテチテチとリビングへと長門は戻っていった。 俺は長門の歩き方の不自然さになど、その時は一切気にならなかった。なんせ着る服を調達するのと長門の大胆行動を防ぐのに頭がいっぱいだったからな。 さすがは長門マジックの賜物と言うべきか。今し方までまったく入らなかったジャージが俺の体型に合わせるように伸び、伸びたからといってビロンビロンになったり生地が透けたりはしなかった。 脱衣場を後にしリビングルームに戻ると、小さな背中を向けてページをめくる時にしか動かない凝固体がちょこんと座っていた。 「先に入らせてもらって悪かったな。それと背中サンキュー」と、照れながら言うと。 長門は本からは目を離さずに「かまわない。次は私がお風呂に入る番」そう言って本に栞を挟み制服のスカートを押さえながらぎこちなく垂直に立つ。 俺はここにきて、やっと長門の不自然な動きに気が付いた。 さっきから、やたらとスカートを押さえたりソワソワしているような動きが目立つ。 それに俺の背中や髪を洗ってくれたはずなのに制服に濡れた後や石鹸が付いた後が全く無いのである。 左手に着替えを持ち右手を腰に当て長門が風呂へと向かう。そして足取りはやはり歩幅小さくテチテチと歩いていく。 不自然な長門の動きに俺は「腰でも痛めたのか?」と訊いてみると、「なんでもない。ここから先は進入禁止」と言って風呂へと通じる廊下の曇りガラス戸をパタンと閉めた。 “進入禁止”って自分は堂々と俺の入浴現場に無断進入してきたくせに… 俺は名探偵の如く不自然な動きをする長門の現段階の情報をまとめてみた。 ①俺が風呂に入るまでは通常の長門だった。 ②洗顔中に長門の襲来。その時長門は衣服着用と言ったが俺は確認していない。 ③薄目を開けて曇った鏡を着た限りでは制服らしきものは映っていなかった。 ④脱衣籠にあった湿ったバスタオル。(あれって俺が風呂に入る時から置いてあったか?) ⑤洗濯機に浮んだ俺の服と長門の・・・ ⑥濡れていない長門の制服 ⑦長門のスカートを押さえる仕草とソワソワした感じ これらの事から導き出される答えは… 「うおぉぉぉ、俺はなんて勿体無い事をしちまったんだ!」俺なりに導き出された答えに俺はすぐさま頭を抱え悶絶してしまった。 長門はあの時“衣服着用”とは言ったが制服なんて一言も言ってなかったじゃないか。つまりあの時の長門は白いバスタオル一枚…これなら鏡に制服が映らなくてあたり前だし湿ったタオルの説明もつく。 そうなると洗濯機に入っていた下着はそれまで長門が着用していたものに間違いないだろう。って事は、今までここにいた長門の制服の下は… だめだ想像しただけで、鼻血が出ちまいそうだ! 焦るな焦るな俺!本当にそんな事が起こり得るだろうか? しかし乏しい俺の脳味噌が導き出した答えだとはいえ、確率的には高いんじゃないか!? “ここから先は進入禁止”と言っていたが、本当に進入禁止なのだろうか。実は密かに俺が来るのを待っているんじゃないか?そもそも先に入ってきたのは長門の方なんだし。 いやいや、待て待て。俺の推理が間違っていたらとんでもない事だぞ。 停学どころか退学か?下手をしたら犯罪者Aって事もありえるな。 ハルヒに嫌われるより、長門に嫌われる方がショックもでかいし、また何かあった時に今度は助けてくれないかもしれん。 それどころか朝倉涼子にやったように情報連結の解除とか言ってこの世から消されでもしたらたまったもんじゃない。 俺は悶々とした気分の中、頭の中では肯定派と否定派の鬩ぎ合いバトルが行われていた。廊下に通じる曇りガラス戸の前で俺は顎に手をあて檻のなかの熊のようにグルグル回っていた。 “!!!” 気が付くと、長門がガラス戸の前に立っておりグルグル回る俺をジッと見ていた。 「長門さん、いつからそこに…」 「三分四二秒前から」 「ずっと見ていたのか?」 長門は乾ききっていない前髪が少し動くくらいの頷きをした。 「そ、そうか…声をかけてくれればよかったのに…」 口元が引き攣りぎみに言う俺に、長門は無言無動のままアメジストのような瞳で俺を見つめ続けた。 長門の全身を見るとグリーンのチェックの前止めシャツに、同じ柄のズボンでシンプルだが可愛らしいパジャマ姿だった。 いや~透けてはいないものの腕や胸元近くまで開き長さは膝丈、首周りやスカート部の裾にピンクの縁取りとリボンがついた薄ピンクのネグリジェじゃなくてよかった。 もし、そんな妖艶な姿だったら間違いなく俺の理性は海王星くらいまで吹っ飛んでいただろうからな。 バツが悪くテーブルに戻り座りなおす。長門も定位置に座ると新しくほうじ茶を入れてくれた。 「あなたは、まだお茶を飲んでいない。飲んで。」 何が何でもお茶を飲ませたいのか?律儀なやつだ。 今度は噴出すことも溢すことも無く、二人向かい合いお茶をすすった。無論、会話は無い… ただ、長門のうつむきお茶を飲む顔が湯上りのせいだろうか、ほんのり色付いていたのが印象的だった。 夜も更け、お茶で気分も落ち着いたせいもあってか俺はうつらうつらとし始めていた。 長門が俺の肩を揺らして「起きて」と現実へと引き戻す。 「あぁ、すまん。寝ちまってたのか。」 「寝具を用意した。そっちで寝た方がいい。」 そう言い客間の方を指差した。 俺は眠い目を擦りながらうな垂れて客間へと案内される。 客間の引き戸を開けると、見覚えのある和室に見覚えのある布団が見覚えのある形で二組並べてあった。 懐かしい光景だ、朝比奈さんと三年間時間を止められた時もちょうどこんな風に二人して寝かされたんだったな・・・・・ って、「ちょっと待て長門!なんで布団が二組並べてあるんだ!」俺の思考能力が夢遊域から一気に覚醒域へと瞬間移動し、そのままパニック域まで猛ダッシュした。 「あなたの分と私の分」 宇宙人製有機アンドロイドは無機質な声質で平然と言ってのけた。 「そうじゃなくて、なんで俺とお前が同じ部屋で布団並べて寝なきゃならんのだ。」 「あなたは以前、朝比奈みくるとこの部屋で共に寝ている。今日は朝比奈みくると私の違いだけ。問題ない」 「問題ある。あの時は寝ていたんじゃなく、お前が時間を止めていたんだろ。それに一緒に寝てお前に手を出さないという自信が俺には無い。兎に角、俺はリビングにでも寝させてもらうよ。」 そう言った俺の腕に長門はしがみ付き、顔を左右に大きく振った。 「大丈夫。あなたはそんな事しない。私には分かる。だからお願い…」 “だからお願い…”って懇願されちゃったよ。どうするよ俺! 「よし、なら布団をもっと離して敷こう。それなら俺もOKだ。」 「了解した」そう言って長門は布団をズズズ…と動かした。 「朝比奈みくるの時より1メートル離した。まだだめ?」と更に懇願する眼差しで俺の事を見てきやがる。 なんでそんな目で俺を見るんだ。いつもの液体ヘリウムの眼差しはどうした!? 「わかった、わかった。それだけでも十分だ。」 やれやれとばかりに頭を掻きながら、どうなっても知らんぞと考えながら長門を見ていた。 今夜は俺の理性に全てがかかっているのである。いったいこんな我慢大会に俺を推薦しやがったのは何処のどいつだ!見つけたらタコ殴りにしてやる。 「長門、悪いが早々に寝させてもらうぞ」 兎に角、早く夢の住人へとなってしまうことが最善の策だと考え、布団を頭から被った。 寝ようとするが、何故か長門に抱かれているような感覚に陥る。 「あの…それ、私が寝ている布団…」 俺は跳ね起き、隣の布団へと飛び移る。 「それを早く言え。」 長門は手を前で組みもじもじしながら、顔を赤らめていた。 ちくしょう、なんでこんな時にそんな可愛い仕草をしやがる。何処で覚えてきた! 宇宙人製アンドロイドというより普通の女の子じゃねーか。 長門に背を向け目をつぶり火の輪くぐりをする羊でも数えるしか俺には自分を抑える手段が残されていなかった。 ドアや窓の施錠が確認され、リビングの電気が消され、客間の扉が閉められ、最後に客間の電気が消された。 長門が背を向けた俺の横にちょこんと座り「寝た?…おやすみ」という。 それに対して俺は起きてはいたが無言でいた。今言葉をかけてしまえば、その場の雰囲気に流されてしまいそうに思えたからだ。 施錠によって外界と隔離された家に無音と闇が支配する静寂な時が流れ、二人を包み込む。どれだけの時間が過ぎたのだろうか、俺は天井を見つめていた。 俺は横に寝ている長門に声をかけてみた。 「長門…起きてるか?」 「・・・・・」 長門は動く気配が無かった。寝ちまったか… 「…起きてる」 「今日のお前は、いつものお前らしくなかったぞ。何かあったんじゃないのか?俺でよければ遠慮なんかせずに言ってくれよ。」 -沈黙- 「…上手く言語化できない。」 「そうか。」 「そう。」 「いつでも話は聞くからな。それと早く寝たほうがいいぞ。」 「了解した。」 その言葉を最後に俺の意識は闇の中えと落ちていった。 * * * * * 私は『彼』の側に立って、寝ている彼の顔を覗き込んでいる。 優しい顔… 私は『彼』の事を固有名詞で呼ぶ事が出来ない。何故? 涼宮ハルヒも朝比奈みくるも朝倉涼子だって『彼』の事をニックネームで呼んでいる。 私もあなたの事をあの名前で呼んでみたい。 「キョ…」 やっぱり何かが言葉を詰まらせる。この言葉は私の心拍数を急激に上昇させる。 何故? 私は『彼』の側に立って、寝ている彼の顔を覗き込んでいる。 私に表情は無い… そういうふうに作られたから。私は目立ってはいけない存在。 涼宮ハルヒも朝比奈みくるも朝倉涼子だって『彼』の前で笑っていた。 私だって『彼』の前で笑ってみたい。怒ってみたい。泣いてみたい。 でも、それは観察者にとって邪魔なもの?目立つもの? そんな私の乏しい表情を気持ちを『彼』は読み取ってくれる。分かってくれる。 大事な存在。 彼女は『彼』の側に座って、寝ている彼の顔を覗き込んでいる。 部屋の闇の中に、彼女の小柄ながらも整えられたスタイル、透明な肌が浮かび上がる。 寝る前まで来ていた着衣は彼女が寝ていた布団の上に脱ぎ捨てられている。 「一体私は何をやっているの」 error_ 「情報の修正が必要」 error_ 「こんな事をしてはいけない」 error_ 「だめ、『彼』に嫌われてしまう」 error_ 「また処分を検討されてしまう」 error_ 「その時は、またあなたが守ってくれる?」 [yes/no]?_ 「私という存在は、あなたの事がダイス…」 長門の薄い唇が眠っているキョンのザラついた唇に触れた… 刹那にして永遠とも思える時間が長門の中に流れていく。 そして長門の右目からユキ解けの水が一筋頬を伝っていった。 止まっていた時間は動き出す。 少しだけ、少しの間だけ『彼』を感じたい。その衝動が長門有希を突き動かす。 彼女は『彼』の布団に潜り込んみ、そっと腕の中に抱きつく。今まで感じたことの無いやすらぎが彼女の中に広がっていく。 * * * * * “うんん…”俺は息苦しさというか、胸部圧迫感とでも言うべきだろうか。兎に角、寝苦しさに目が覚めた。 天井を見つめ、今 自分が長門の家で寝ていることを思い出させる。 俺の身体に何かがまとわりついていた。ショートヘアをさらに短くした見慣れたパープルグレイの髪の毛でスースーと寝息を立てている少女。 って、長門、何やってるんだ!暗い部屋でも長門の白い肌が艶かしく背中まで見えている。 「長門!おいっ長門!」ダメだ起きやしねぇ 密着した身体に感じられるこの柔らく気持ちいい感触はなんだ。 長門に寝ていた布団の上にはグリーンのパジャマと白い下着が散乱している。 今度は間違いなく裸だ。見えているのは背中までで、その下や抱きついている身体前面は見えないものの100%誰がなんと言おうと天地がひっくり返らない限り、今の長門有希は一糸纏わぬあられもない姿だ。 俺は一気に汗が噴出す感じがした。それが緊張なのか焦りなのか期待なのかはまったく分からん。 体と手に触れる長門の素肌の感触。稚拙な頭で妄想する長門の全裸姿…俺の理性という鎖はまるでゴムで出来ていたように呆気なく弾け飛んだ。 「長門ー!!!!!・・・・・へっ!?」 体がまったく動かない。首から上は動くものの首から下は指先一本動きゃしねー。 そういえば以前も似たような事があった。忘れもしない、いや忘れられる訳がない。 あの朝倉涼子に殺されかけた時だ。あの時は首すらも動かなかったが…。 つまりこんな事ができるのは対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェースたる長門、お前の仕業か! これはセキュリティーモードとかボディーガードモードとでも言うのか? 俺はただただ、長門の香りと寝息、そして首をもたげて確認できる範囲の長門の白い肌。そして体に伝わってくる長門の素肌の感触だけで我慢するしかなかった。 これじゃヘビの生殺しじゃないか! まさか寝る前の我慢大会が予選で、ここに来て我慢大会決勝になるとは思いもよらなかったぜ。 長門に借りたこのジャージを汚してしまわないか、それが心配だ… こんな悶々ギンギンとした状況下でも、俺はいつしか眠りについていた。俺ってスゲー 朝起きると、隣に長門の姿は既に無く、長門の寝具とパジャマが綺麗に畳まれていた。 あれは夢だったのか?にしては、あまりにリアルすぎる。いまだに長門の感触がこう… 俺は“ハッ”として布団を捲り我が親友を確認した。助かった…ジャージは汚さずにすんだ。 ただ、まだ背伸びをしている親友が元に戻るまでは布団から出れそうにない。 突然客間の扉が開き長門が入ってきた。 「起きた?」 俺はとっさに布団を引き寄せた。 「ああ、おはよう」 なんと今日は制服ではなく、白と青のボーダー柄のVネックTシャツに、カーキ色のハーフパンツ姿というラフな格好だった。 長門が俺を見下ろす。俺は長門を見上げる。いつもと逆のパターンだ。 「長門、お前昨日の夜…その…覚えてるか?」 長門は三秒沈黙した後五ミリ首を横に傾けた。 「いや、何でもないんだ。忘れてくれ。」 「そう……。これ、昨日汚れた服。洗って乾かしておいた。」 長門はそういうと手に持っていた服を俺の枕元に置き、その瞬間俺は長門の手を掴み引き寄せる。 体重を感じさせない長門の体は事も無げに俺の胸元に倒れこんできて、俺はそのまま長門を抱きしめた。 昨夜の出来事がどうしても夢とは思えず確認したかった。 この香り、服の上からだがこの感触、疑惑は確信へと変わった。 「長門…、お前やっぱり…」 長門は最初目を丸くしてパニクッていたようだが、すぐに顔を埋め俺の背中に手を回した。 長門の小さな体が小刻みに震えていた。 「泣いてるのか?」 「泣いて…ない。」 「そうか…」 「そう…」 長門の小さな嘘。俺は長門の震えを止めるように抱きしめた腕に力を込めた。 長門を幾時間か抱き締め、俺は長門の洗ってくれた服に着替えた。 リビングに行くとキッチンから長門がテーブルに朝食を出してくれる。 ハルヒについでなんでもこなすスーパーユーティリティプレイヤー長門有希。 その長門が作る飯が不味いわけがない。 昨夜と同じく二人で食べる食事なのに、今日の朝食は昨日の夕食より美味く感じられた。 ちなみに会話はやっぱり無い… 時計を見ると午前十一時過ぎを差していて思った以上に寝ていた事に気付かされた。 「それじゃそろそろ帰るよ」 長門は今回は首を縦に振って後ろを付いて来た。 「安心して、あなたが泊まった事は秘密にしておく。今はそれがベスト。特に涼宮ハルヒに知られれば世界改変の引金にならないとも限らない。」 「そうか。恋愛禁止なんて事もほざいていたしな。黙っていた方がいいか。」 長門を見ると、みるみる耳が赤く染まっていった。 「どうした長門、耳が赤いぞ???」 「なんでもない。あなたが気にする事ではない。」 「もし情報統合思念体が何か言ってきたら俺に言って来い!俺がまた守ってやる。」 「大丈夫。情報統合思念体は何も言って来ていない。」 「そうか。」 長門はコクリと頷く。 俺は靴を履き、長門の頭をクシャクシャと撫でて「それじゃまた明日。部室でな」そう言って、長門の家を後にしようとした。 すると長門は俺の袖口を引っ張って「よければ、また来て」と目を合わせずに言った。 「おう、今度はお前の手料理でも食わせてくれ。それと、休日くらい今日のように私服でいたらどうだ。その方が似合うと思うぞ」 「わかった、そうする。」 そう答えた長門は、微かに笑ったように見えた。 長門のマンションを後にし、雲のまばら青空を見上げた。何故だろうな、こんなにも清々しく感じるのは? 以前、鶴屋さんに“未来人か宇宙人だったら、どっちがいい? ”と聞かれたが、今日俺は“宇宙人を選んだ”という事になるんだろうな。 玄関のドアが閉じた後、長門は暫らくその場に立っていた。 「恋愛…」 自分でつぶやく言葉で、長門はまた耳が真っ赤になっていた… * * * * * 『観察対象を追加。パーソナルネーム・長門有希。彼女を観察者から観察対象者に変更。 ただし当該対象者には極秘。長門有希には引き続き涼宮ハルヒの観察を行ってもらう。』 「あらあら、長門さん大変な事になっちゃたわね。これから私があなたを監視する役目になっちゃうみたいね。」そこには長門の家を見つめる喜緑江美里のクスリと笑う姿があった。 ~ fin ~ ↑『ユキ道1.長門有希の慟哭』へ
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「ああ、しかし……」 栄えある長門型戦艦一番艦は、悲しげに首を振った。 彼女に誇りがある限り、彼女は己の心のままに従う事だけは、絶対にできなかった。 「結局のところ、卯月。お前と私では、好きという言葉の意味が違うのだ」 「……そんなコトないもん。うーちゃん、長門が大好きだから!」 「私もだよ、卯月。でも、それは……」 長門はそこでふと言葉尻を切り、目の前の彼女を、睦月型駆逐艦四番艦の卯月の事を、ほとんど睨むのに近い鋭さで見つめた。それは、飢えて干乾びた者が決して手の届かない場所に滴る水の一滴から目を離せないのに似ていた。 柔らかい臙脂色の頭髪から、膝の下まで。襟元の肌色、小さな頤、未発達の胸、眩しいむきだしの太腿。じろじろと、舐め回すような、それはそういう目つきだった。 「……長門、さあん」 不意に彼女はぴょんぴょん跳ねて、長門の前に立った。見上げる。背丈はその肩のところにも届いていない。 「卯月?」 「……うーちゃん、ね」 形の良い唇からちらと舌が覗いた。無垢な少女には酷く不釣合いな仕草だった。 「何を……うっ!? や、卯月、やめ……!」 長門は腰砕けになり、へなへなと床に座り込んだ。武装も、自慢の重装甲も役に立たなかった。 違うのは立った。 「いけない……卯月、私は……」 呻く長門の頭を彼女は優しく胸に抱え込んで、その耳元に、ぴょんぴょんと、理性の最後の壁を突き崩す言葉を囁いた。甘い声音はあらがい難い何かと禁忌とを同時に感じさせる、幼い少女のものだった。 「夜のうーちゃんはぁ……とっても凄いんだぴょん……?」 (続省略わっふる) これが気に入ったら……\(`・ω・´)ゞビシッ!! と/
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三 章 Illustration どこここ その日の午後、ハルヒは俺の知らない間に谷川氏と連れ立って中学校へ行った。まさかジョンスミスを探しに行ったんじゃないだろうなといぶかしんだ俺だったが、まああいつはほっといても適当に楽しむやつだから大丈夫だろう。それ以外の四人は西宮北口駅まで歩いた。古泉と朝比奈さんが、ぜひこっちの世界を見てみたいというのだ。観光するまでもなく、たいして違わないんだがな、俺たち以外は。 俺たちは喫茶ドリームに向かい、長門は借りていた本を返すと言ってひとりで北口図書館に向かった。 「まったくといっていいほど似てますね」 古泉は街の景観を見回して言った。そりゃまあ、元はこっちだからな。 「それは分かっていますが、なんとなく不思議というか、別の意味で違和感を感じてしまうというか」 言いたいことは分かる。見た目はよく知ってる街のはずが、どこか違っていてどうしても自分が住んでる街だとは思いがたい何か。 「こっちの世界では時間移動する人はいないんですか?」 朝比奈さんが職業的な興味かららしい質問をした。 「どうでしょうね。ひょっとしたらいるかもしれませんが、遭遇したことはないです」 「時間移動はどの世界でも厳重に管理されてるんじゃないでしょうかね」 古泉がもっともらしいことを言う。確かに、誰もがほいほいタイムトラベルができたら経済やら犯罪防止やらに支障が出そうだ。 「なんでしたら未来に行かれてみては。時間移動管理局なる公的機関が存在するかもしれません」 「そうですね……。いえ、やっぱりやめておきます。未来のことは知らないほうがいいです」 こういうところは朝比奈さんらしい。時間のこじれには苦労していると見える。 「あとで夙川公園に行ってみたいんですけど、いいでしょうか」 あそこは朝比奈さんゆかりの場所だ。さすがに桜はまだだろうが、ハルヒに頼めば咲かせてくれるだろうか。 「いいですよ。長門が帰ってきたら行きましょう」 路地を歩いていてドリームが見えてきた付近で、道のまんなかに見覚えのある人影が立っていた。小柄な、制服にカーディガンを来た女子生徒。だが、どうも様子が違う。第一、長門はもう眼鏡をかけていない。それにこの無表情、俺の知る今の長門ではない。俺以外のやつから見れば同じ表情に見えたかもしれないが、俺にだけは微細な表情の変化が分かる。俺を見るときは少しだけ緩むはずなのだ。 「長門か?」 もしかしたら四年前の七夕の長門がやってきたのかと思い、問い掛けた。古泉と朝比奈さんも異状に気が付いたようだ。そいつは冷たく響く声で言った。 「わたしはそのような名前ではない」 遠くからでも聞こえそうなくらい声には抑揚がある。偉そうな態度で話す。こいつは長門じゃない。 「じゃあお前はいったい誰だ!?」 「わたしの名前は情報生命体α、情報統合思念体総帥だ」 そいつは俺たちを指さして宣言した。 「お前たちを上書きする」 周囲の風景がガラリと変わった。空もまわりの建物の色もペンキで塗ったようにぺったりとした灰色になった。前にも同じようなことがあったぞ。朝倉に襲われたときだ。今回はいきなり、手足が貼り付いたように動かない。俺だけならまだしも朝比奈さんと古泉までいるのに。背中で朝比奈さんの悲鳴が聞こえた。俺の朝比奈さんになんてことしやがる。振り向けないが目だけ動かして見ると古泉はすでに赤い球体の中にいた。 「ほう。お前は他の二人とは違うようだな」 情報生命体αと名乗る、長門によく似たそいつの手が白く光った。 「古泉逃げろ、今すぐ長門を呼べ」俺は咄嗟に叫んだ。 「いいえ、戦います。あなた方を守るのが僕の使命です」 かっこうつけてる場合じゃないんだよ。こいつは神人よりヤバいぞ。 「朝比奈さん、見ないほうがいいです。目を閉じていてください」 古泉は震えている朝比奈さんに言った。 「ここは僕に任せてください」 赤い球体となった古泉が宙を飛んだ。長門に似たそいつの右手が古泉を指差し、次の瞬間、球体に向かって落雷のような光が走り抜けた。そいつは詠唱していない。まばゆい光が古泉を貫いた。赤い球体が消え、人の形をした影が地面に落ちた。影は片手をついて立ち上がった。 「古泉、生きてるか」俺は叫んだ。 「大丈夫ですよ」 古泉の服はところどころ黒く焦げていた。どう見ても大丈夫そうじゃないぞ。 「まあ見ていてください」 古泉の赤い球体が輝きを増した。やられると燃えるタイプらしいな。 そいつの両腕が古泉に向いた。腕が伸びて白い蛍光管のように光り、壁を突き破って止まった。古泉は腕の部分に絡み付いて高速で回転し、切断していった。腕が、折られた千歳飴のようにポロポロと落ち、そいつは後ずさった。 フンモッフと叫ぶ古泉の右手から、赤く燃える火球がほどばしった。燃える火柱が空中を走る。ところが、そいつ、情報生命体とやらの目の前で泡となって消えた。 「そんなものか。所詮は人間だな」 ニヤリと笑うそいつの表情は、とても長門とは思えない冷酷さそのものだった。人差し指を古泉に向け、小さく円を描いた。 「古泉避けろ!」 俺が言うが早いか、槍の形をした数十本の金属の塊が古泉に向かって飛んだ。古泉はジャンプして後転したが間に合わず、手で払おうとした槍の一本が右手を貫いた。古泉の叫び声が響いた。古泉は槍ごと地面に落ち、右手を地面に釘付けにされてもがいた。 「おい、いったい何が目的なんだ。俺たちをなぶり殺しにするつもりか」俺は叫んだ。 「殺すつもりはない。情報を上書きするだけだ」 情報生命体αが青ざめた古泉の頭に手をかざした、その時である。轟音とともに地面が割れ、持ち上がった。アスファルトが大きくめくれ、かけらが飛んであたりに散らばった。その煙の中から現れたのは、俺たちの長門だった。 「長門さん助けて」朝比奈さんが泣き叫んだ。 「……」 長門が俺たちを見て、そいつを見た。怒っている。煙が立ち込めそうなくらい猛烈に激怒している。 「……あなたは、わたしの同位体か」 「やっとお出ましか。その通り、かつてはそうだった」 「……」 「思念体はお前ひとりか」 「……」 「そっちのわたしはえらく無口なのだな。もっと意思表示したほうがいいぞ」 「……」 二人の間に暗雲が立ち込めそうなくらい緊張した空気が漂ってきた。お前は知らんだろうが、この長門はけっこう意思表示するんだよ。 長門はそいつから目を離さずに、古泉のそばまで寄った。 「……右腕を、麻痺させる。見ないで」 長門はいきなり刺さった槍を抜いた。 「ありがとうございます。僕は大丈夫です」 「……骨折を修復する」 長門は古泉の右手を握り、傷口を塞いでいるようだった。それから俺と朝比奈さんに向かって詠唱した。貼り付いた足が自由になり、やっと体が動かせるようになった。 長門は俺を見て、朝比奈さんを頼むと目で合図した。俺はケガをした古泉に肩を貸し、朝比奈さんを後ろに下がらせた。長門はもう一度俺を見て、それから朝比奈さんを頼む、と合図した。二度目のはなんだ? 長門は眼鏡をかけた自分に向き直った。 「……あなたの目的は、なに」 「命令する。わたしと融合しろ」 「……断る。あなたとは意思を相反する」 「では、お前を上書きする」 そのセリフと同時に長門が呪文を唱えた。白く光る弾幕が二人の間に生まれた。さっきと同じ鉄の槍が飛んだが、長門の目の前で砂となって崩れて消えた。長門には物理攻撃は効かないだろう。 情報生命体αは両手に燃え上がる炎を起こした。瓦礫となったアスファルトが大きく持ち上がった。そして俺たち三人に向けてドロドロに溶けたアスファルトを投げた。か弱い人間を攻撃し、長門に隙を作ろうというのだろう。だが長門は俺たちの前に立ちはだかり、薄紫色のシールドを展開した。飛んできた液状のアスファルトがシールドに触れると、紫色に凍り付いて粉々に割れた。同時に、二人とも後ろへ飛び退った。 すさまじいエネルギーが炸裂する二人の戦いをじっと見ていたが、長門はいっこうに攻撃に転じようとしない。俺はそれに気が付き、さっきの長門の合図の意味が分かった。長門は一旦逃げて体勢を立て直したいのだ。今ここで戦うには何も準備が出来ておらず、リスクが高い。 「朝比奈さん、逃げる用意をしてください」 俺は朝比奈さんの耳元で囁いた。 「逃げるってどこへですか?」 「過去へ」 朝比奈さんはコクリとうなずいた。 情報生命体αは宙に浮かんで、両手を高く上げて円を描いた。描いた先に白い球体が生まれた。その中に人影が見える。顔は似てはいないが、同じ年恰好で無表情な三人が現れた。情報生命体αはそいつらに向かって命令した。 「やれ」 あいつ、仲間を呼んだのか。思わぬ敵の増援に長門は身構えた。もうぼやぼやしてはいられない、早いところ撤退しなければ。 ちょうど俺たちと情報生命体αの間に長門が入った瞬間、衝撃波が長門を襲った。白い煙幕があたりに立ち込め、敵の姿が見えなくなった。長門の体が吹き飛ばされ、煙と一緒にこっちに向かってくる。ここだ、このタイミングだ。次の瞬間、俺は飛んできた長門を捕まえるために足を踏ん張った。背中から飛んできた長門を抱えるようにキャッチすると、勢いそのまま五メートルほど飛ばされた。続いて長門の空間移動で朝比奈さんの隣に飛躍した。 「今です!」 朝比奈さんに向かって叫んだ。映像のコマが逆に回ったかのように、猛スピードで視界が流れた。もう眩暈も吐き気もなかった。俺はただ、古泉と朝比奈さんを連れて安全なところまで逃げ延びることだけを考えていた。 気が付くと、俺たちは森の中にいた。どこかで鳥がさえずっている。 「大丈夫ですか長門さん」朝比奈さんの声で我に返った。 「……問題ない」 俺は長門の体を離した。長門は起き上がってなんでもないという表情で砂ぼこりを払った。俺が見る限り、朝倉のときより余裕だった気がする。 「あいつ、追いかけてこないだろうか」 「……異時間同位体はいないはず。念のため、時間移動の痕跡を消す」 長門は詠唱して、俺たちのまわりに透明な膜のフィールドを張った。俺はしがみついている朝比奈さんをなだめてから腕をほどいた。 「古泉、右手は大丈夫か」 「長門さんの治療のおかげでほとんど塞がりました。ちょっと痛みますが」 「……骨の結合部が完治するまで、動かさないほうがいい」 朝比奈さんがスカートの裾を破ろうとしたので、俺がシャツを渡した。背中の部分を三角巾に折り、古泉の首から腕に巻いた。 「朝比奈さん、ここはいつなんです?」 「さっきの時間から二百年くらい遡りました」 ということは、ええと幕末ですか。 「長門、あれともう一度戦ったら、勝てそうか?」 「……分からない」 「あの感じだと、お前のほうが一枚上手だったように見えたが」 「……さっきのは異空間内部での、非侵食性融合維持空間だった」 「非侵食性、なんだって?」 「……つまり、彼女の作った異空間内にわたしが作った異空間」 「ややこしいことしたんだな」 毎度ながら、長門の高度な戦術には感心する。だが長門の表情は曇っていた。 「……でも通常空間で戦った場合、戦力は未知数。勝てないかもしれない」 「あいつ、自分を情報生命体αとか言ってたな。なんでお前に似てるんだ?」 「……彼女は、わたしの異次元同位体。かつて同じ情報統合思念体のメンバーだった。だが今は情報リンクしていない」 「今はちがうのか」 「……数億年前、わたしと次元断層の探査に行き、彼女だけが消息を絶った」 以前長門が消えたとき、喜緑さんに聞いていた話だ。あれはあいつのことだったのか。 それから長門は、俺の目をじっと見据えてこう言った。 「……わたしは、彼女のバックアップコピー」 朝比奈さんが震えていた。さっきの状況が相当怖かったのだろうと、抱きしめて守ってやりたいような衝動に駆られたが、震えているのは気温のせいだった。森の湿った冷たい空気に、俺も急激に寒気を覚えて腕をさすった。 焚き火でもしようと薪を集めた。 「誰かマッチかライターを持ってないか?」 古泉が左手で火を灯し、薪に移した。 「こんなことしかできませんが」 「ケガしてるのにすまんな」 自分の能力は暖房器具じゃないと言ったわりには、こういう役に立つことが嬉しそうだった。 燃え盛る焚き火を囲んで本来なら楽しいビバークのはずなのだが、状況が状況だけに歌など歌いだすやつはいなかった。鳥のさえずりだけが聞こえる静かな森の中で、長門の低い話し声だけが響いた。 「彼女とは記憶の大部分を共有している。わたしが情報統合思念体にいた頃、彼女はわたしであり、わたしは彼女だった」 「思念体には個人を識別するものはないのか?」 「固有識別子はある。でも記憶は共有、意思は集合の総意」 いまいちよく分からんのだが。つまり、常時テレパシーで繋がっているようなものか。 「……二人は同じ情報構造を持つ。わたしは彼女の写し」 「理屈ではそうかもしれんが、お前はお前だ。俺の知る、ユニークな長門有希だ」 「……ありがとう」 自分の説明がやや足りないと思ったのか、長門は付け足した。 「……人間的に表現するなら、彼女は双子の姉のようなもの」 情報統合思念体が互いにどういう関係にあるのかは知らないが、長門に姉がいたとは初耳だ。それも人間的に表現するなら、との条件付でだが。 ── 情報統合思念体には子孫の系統というものがない。思念体の成長は、互いの情報の構造化にある。でも、わたしと彼女はそれをしなかった。ほかの思念体が情報を交換し、混ざり合い、融合し、進化を果たしても、わたしたちはオリジナルを保った。 『いつまでも、このままでいよう』 そう誓い合った。わたしたちは同じ記憶を持ち、同じ経験をし、同じ感情を共有した。 ── わたしと彼女が探査に向かったとき、彼女は次元断層へ飛び込もうとした。わたしは反対し、先に探査エージェントを送り込むべきだと言った。 『エージェントごときに新世界への第一歩を奪われたくない』 自ら飛び込み、そして断層が消え、彼女は二度と戻らなかった。 「……それから数億年が経った。わたしも同行するべきだったのか、今でも分からない」 長門はそう言った。 「そうか……。お前は一度、身内を失ったんだな」 長門はうつむいた。 「でもなぜ俺たちを襲う必要があるんだ」 「……おそらく、侵略が目的」 「俺たちの世界をか」 「……そう」 宇宙規模の乗っ取りか。またスケールのでかい話になってきたな。 「最初から明らかに敵意を持って接触してきたようですが、あの文庫本はやっぱり罠だったのでしょうか」 「……今や確実にそうなった。出方によっては、思念体同士の争いになりかねない」 「情報統合思念体の全面戦争か」 「……そうなると地球上にも被害が及ぶ」 俺は銀河に広がる、飛び交う火の玉、星の爆発を思い浮かべた。こいつらがまともに戦ったら地球クラスの惑星なんぞ、ひとたまりもあるまい。 「俺たちの世界も守りを固めるべきなんじゃないか」 「……思念体が安易に戦いを仕掛けるとも思えない。わたしたちの歴史にはいくつもの戦争があり、互いに何のメリットもないことを理解しているはず」 戦争にはあんまりメリットデメリットみたいな論理的な考え方はないと思うぞ。人間は未だに戦争してるしな。それが終わるたびに、今度こそは平和な世界を、と宣言するんだ。 「……それも、一理」 「それで、どうするんだ」 「……わたしひとりでは手に負えない」 長門は立ち上がり、スカートのポケットからじゃらじゃらと小さな球を取り出した。そのうちのひとつを手のひらの上に載せるとビー玉のように見えた。 「それ、なんだ?」 「……素粒子球」 来る前に捕まえていたあれか。ずいぶんコンパクトになったんだな。あれからテクノロジーも進んだと見える。古泉が物珍しそうに眺めている。 唐突に長門がビー玉を握りつぶした。ベキッとガラスが割れるような鈍い音がした。次の瞬間、長門の手から、カメラのストロボを何台も焚いたような光が漏れた。 「……喜緑江美里に救援を要請した」 「ここから呼べるのか」 「……時空の座標と位相情報があれば、転移可能」 長門は詠唱しながら腕を大きく回して垂直に円を描いた。目の前の空間に直径二メートルほどのフラフープのような円が生まれた。切り抜かれた円の部分が、どんでん返しの戸板のようにくるりと回って、そこには喜緑さんが現れた。これ、新しい次元転移技術か。 「皆さん、こんにちわ」 「お忙しいところ呼び立ててすいません」 呼び出すのがこういう非常時ばかりで申し訳ない気がする。 「皆さんお疲れでしょう。お茶を用意しましたわ」 見ると、籐のバスケットを下げている。ステンボトルもある。こういう気が利くところは喜緑さんらしい。 「わぁ、ありがとうございます。おなかすいてたんです」 朝比奈さんの表情にやっと和らいだものが浮かんだ。喜緑さんはふと朝比奈さんの顔を見て、塗れティッシュで涙の跡を拭いてやった。気が付かなかったが、朝比奈さんの目元が腫れていた。みんなを見守るお姉さんのような喜緑さんは、朝比奈さん(大)よりずっと優しいと思った。 それまでその辺の切り株やら石に座っていた全員は、喜緑さんが持ってきてくれたピクニックシートを広げて足を伸ばした。 「静かないいところですわね」 この状況だ、そうですねとは誰も言わなかったが。日本画に出てきそうなヤマトナデシコ的喜緑さんが、微笑でそう表現してくれると気持ちが和む。喜緑さんは紅茶をカップに注いで全員に渡した。それからフルーツケーキを丁寧に切り分け、ピクニックセットの皿に盛ってくれた。 「お口に合うかどうか……」 これ、お手製だったんですか。一口で食っちゃいました、味わって食べればよかったのにもったいない。喜緑さんは笑ってケーキのお代わりをくれた。リンゴやらみかんやらの果物まで用意してくれた。長門は黙々と食っている。緑豊かな奥深い森の片隅で、お茶をすする音だけが聞こえた。耳を澄ますとどこからかせせらぎの音が聞こえる。 「お茶、まだありますから」 「わざわざ用意して持ってきてくださったんですね。ありがとうございます」古泉が礼を言った。 「戦いの前には、まず腹ごしらえですからね」 喜緑さんは正気に戻るようなことをサラリと言った。古泉がゴクリとケーキを飲み込んだ。 「さて、今後のことですが」 全員が喜緑さんを正視した。俺はうさぎの形に切ったリンゴを頬張ったまま固まった。 「まず、先方の意図を正確に見極める必要があります。交渉の余地があるのか、救援を欲しているのか、あるいは単に侵略が目的なのか」 長門はじっと喜緑さんを見た。この人が喋っているときは長門はいつも控えている気がするが、もしかして喜緑さんのほうが先輩なのか。 「それから、できるだけ目立つ行動は控えてください。古泉君も朝比奈さんも、緊急時以外は能力を使わないでくださいね」 二人は黙ってうなずいた。 「それからキョン君。あなたは涼宮さんの閉鎖空間発生をできるだけ阻止するようにしてください。おそらくですが、涼宮さんの発するエネルギーが彼女をおびき寄せたのだと推測されます」 それができれば苦労はないんですが、と言いかけたが、喜緑さんの深い瞳があまりに真剣だったので口には出さなかった。 「では、いったん元の時間に戻りましょう」 「……分かった。三人とも、手を出して」 俺たちはインフルエンザの予防接種を受ける小学生のように並んで左腕を差し出した。長門はひとりずつ手首を噛んだ。 「うわ、なんですかこれ」 俺と朝比奈さんは経験済みだが、古泉ははじめてだったな。 「……対情報操作用遮蔽スクリーンのひとつ。位相の誤差を相殺する」 「彼女からは見えないってことですか」 「可視光下では見える。遠距離センサーでは検知できない。わたしたちからも」 ということは長門と喜緑さんの監視下にないってことか。この二人から離れないようにしないとな。 「では、朝比奈さん、お願いできますか」 「あ、はいはい」 「元の時間から十五分後にお願いします。それからすぐ、その十分前に戻ります」 「はい?二回移動するんですか?」 「ええ。お願いします」 全員が朝比奈さんを囲む輪になった。まわりの映像が三色の絵の具を混ぜ合わせたように渦を巻いた。 映像が止まり、俺たちはドリーム前に現れた。それからすぐコマ送りのように映像が動いて、再び止まった。十分前くらいだからほとんど何も変わりはない。 「皆さん、下がっていてください」 なにが起るのかと俺たちはあとずさった。長門と喜緑さんは、俺たちが現れた場所の地面に奇妙な絵文字を描き始めた。なんだろう、魔方陣だろうか。 それから二十分くらい過ぎたとき、突然白い光が瞬いた。何が現れたのか見ようと、俺は手をかざした。球状の白い光の中に人の影が見える。もしかしてあいつか。影が実体化するのを見届けると、長門と喜緑さんはその影に向かって呪文を唱えた。まわりの空気が絶対0度に凍りついたような、ミシミシと北極海の氷山がこすれるような音がした。次の瞬間、影が粉々に割れ、カケラとなって飛んだ。 「死んだのか」ふと口をついて出た。 「いいえ。逃げられましたわ」 「……ダメージは、与えたはず」 つまり、元の時間から十五分後に到着した俺たちはフェイントだったのだ。あいつがそれを検知してここに来たときには俺たちは十分前の過去に飛んでいる。そして十分の間に用意していた長門と喜緑さんの呪文を浴びた。そこにいると思って来てみたら後ろから襲われたようなものだ。この十分間は敵に罠を仕掛けるための時間だったのか。 「次からは、いきなり現れて襲ってくることはないでしょう」 やれやれ、この二人がいなかったらどうなっていたことか。俺は安堵のため息を漏らした。情報生命体の怖さは、一度ならず二度も襲われた俺が身に染みてよく知っている。人間ごときが立ち向かえる相手じゃない。 「あれ。ってことは、あいつはこの時間軸にはいないんですか」 十分前に飛んだとき現れなかったということは、それより過去にいなかったということで、そうなるよな。 「ええ。こことは別の次元から来ているようですわ」 もうひとつ、別の世界ですか。そこに時間もからめて、またややこしい。 「……周辺分子の構成情報を修正する」 長門と喜緑さんは、情報生命体αが壊した道路の後始末をしていた。こんな、途中で頓挫した道路工事みたいなありさまが人の目に触れると新聞ネタになりかねん。呪文を唱えると元の風景に戻った。 俺たちはとぼとぼと、徒歩で谷川氏の屋敷を目指した。朝比奈さんに夙川公園を案内するのはしばらく先になりそうだ。朝比奈さんもこんな気分じゃ、観光どころじゃないだろう。 「あれっ、あれなんでしょう?」 お屋敷が見えてきたところで朝比奈さんが指差した。門の前に妙な車が止まっているのが見えた。近づいてよくよく見ると、車ではなくソリだった。六頭立てのトナカイが引いている豪華なやつだ。本物のトナカイまでいる。鹿の分際でうさん臭い目で俺を睨んだ。というか日本にトナカイっていたっけ、と常識的な疑問が浮かぶと同時に嫌な予感がした。またハルヒのとんでもイベントがはじまったんじゃないのか。しかも今のハルヒは放っておくとなにをしでかすか分からん状態にある。 門を入ると、この時期よく見かける腹の出た赤服爺さんが立っていた。どっかのデパートからやってきたバイトのあんちゃんにしては年季が入りすぎている。このモフモフ動いている白いヒゲは本物じゃないのか。 「とうとうやりましたね」 古泉がくっくっくと、こらえきれない笑いを漏らしていた。朝比奈さんも喜緑さんもクスクス笑っている。俺はハルヒに向かって叫んだ。 「おいハルヒ、なんでサンタクロースがいるんだ」 「あんたまさか、サンタクロースの存在を疑ってるの」 ハルヒは俺を信じられないといった目で見た。 「いや俺が言ってるのはそういう問題じゃなくてだな」 ハルヒは満面の笑顔を浮かべてサンタクロースの腕を取った。 「見て見て本物のサンタよ、国際サンタクロース協会のシニアサンタクロースよ」 「わざわざグリーンランドから呼び寄せたのか!」 「何固いこと言ってるの、クリスマスでしょ」 「だからって遠路はるばる北極海から呼び寄せるこたぁないじゃないか」 「なによ、ちょっと願い事をしてみただけでしょ」 ヒゲ面の赤服じいさんはイライラと足を踏み鳴らしている。このクソ忙しい時に呼び立てやがってと、額に油性マジックで書いてありそうだ。 「は、ハロー。ウェルカムツー、なんだっけ、ニシノミヤ」 俺は壊れまくっている英語に、壊れまくって引きつっている愛想笑いでなんとかごまかそうとした。爺さんがなにごとか喋ったが、どうも聞き取れない。英語じゃなさそうだ。ええと、グリーンランドって確かデンマークだっけ。誰かデンマーク語が分かるやつがいたら今すぐ連絡をもらいたい。時給千円税込みで通訳のバイトさせてやる。英検四級並みでもいいぞ。 「God dag. Mit navn er Yuki Nagato」 長門が爺さんに話し掛けた。ぐっじょぶ長門。こいつならデンマーク語くらい楽勝だろう。今すぐ友好通商会談を開いてもいいくらいだ。さっきから白い眉毛とヒゲをピクピクと動かしていた爺さんの表情が少しやわらいだ。やれやれ。 「なんて言ってるんだ?」 「……いきなり呼びつけられて迷惑している、と」 「すまんが、かわりに謝っておいてくれ」 「……年に一度のイベントで忙しいのに、八時間を無駄にした、と」 どうやらタダで帰すわけにはいかないようだ。このイライラのまま帰して日本のイメージが悪くなりでもしたら、子供たちにプレゼントをくれないかもしれない。 「部屋に案内してくれ。お茶でも出してもらうから」 俺は先に屋敷に入っておばあちゃんを呼んだ。谷川氏はいないようだった。 「おばあちゃん、申し訳ないんですが緊急にお客様が見えました」 「へえ、誰だい?」 「おばあちゃんもよく知ってる人です」 帽子を脱ぐと意外にも背の高い赤服爺さんが、ブーツを脱いで入ってきた。 「おんやまあ!」おばあちゃんが仰天した。 「コンニーチワ」 おばあちゃんの手をとってうやうやしく口付けをした。このサンタ、日本語の挨拶くらいは分かるのか。 「この人って本物なのかい?」 「ええ。グリーンランドから来た本物のサンタクロースです」 「そいつぁまた唐突だね、見えると分かっていたらお化粧して待っていたのに」 おばあちゃんは手ぬぐいで顔を隠した。憧れの海軍将校青年を目の前にしたお下げの女子学生みたいに、おばあちゃんの頬はサンタの服よりも赤くなっていた。 「ハルヒ、おばあちゃんを手伝ってお茶をお出ししろ。長門は通訳を頼む」 「分かったわよ」 「……ニコラウス氏がトナカイにエサをやってほしいと言っている」 俺は鹿の世話か。まああとのことはこいつらに頼んどこう。トナカイの気持ちなら多少は分かるかもしれない。ええっと牧草ってどこで手に入れればいいんだ。庭の芝生でも食わせとけばいいか。 ところが騒ぎはそれだけではなかった。庭のほうからなにやら動物園のような叫び声というかわめき声というか、遺伝子がうずきだしそうな原始的な鳴き声がする。いや、していたというべきか、サンタの襲来のせいでそれどころではなかったのだ。庭に行ってみるとそこには魑魅魍魎、珍獣奇獣図鑑に載ってそうな連中がウヨウヨしていた。ドードー鳥なんて絶滅したはずだろう。いくらなんでもサーベルタイガーはまずいって。T-REXだけはいないようだ。こいつら、どこかに返却する必要があるんだろうなあ。博物館でもいいから引き取ってくれないかなあ。 屋敷の前に車が止まった。谷川氏が帰ってきたようだ。入ってくるなり口をあんぐり開けて、そのままそこで化石のように固まっている。 「谷川さん、申し上げにくいんですが。ハルヒのやつ、やっちまいました」 二、三度瞬きをしたかと思うと笑い出した。 「こんな珍妙な動物園ははじめて見たね」 そりゃそうだ。絶滅種ばかりの動物園なんて、世界中どこを探してもあるまい。そもそも生きていたら絶滅種とは言わん。 「キョン君、こいつらの名前言えるかい?」 自慢じゃありませんが、小学生の頃に古代生物の図鑑を暗記するくらい読みましたから。 「あれれ、始祖鳥がいるじゃないか。羽を一枚もらっとこう」 松の木の枝にとまっている、鳥みたいなトカゲもどきみたいなやつがいた。噛みつかれないよう気をつけてくださいよ。そいつは小さいけど鋭い歯と鉤爪を持っていますから。俺は動物にたわむれる谷川氏を写真に撮ってやった。って和んでる場合じゃないんだ。ご近所から保健所に通報されでもしたら一大事だ。 「喜緑さん、朝比奈さん、ちょっと」 俺は台所にいた二人を呼んだ。朝比奈さんは庭の様子を見て目を丸くし、ケラケラと笑った。 「涼宮さんも楽しいことを考えつくんですね」 「お手数なんですが、こいつらを元の時空に戻してもらえませんか」 「おやすい御用ですわ」 喜緑さんも微笑んでいる。この程度のハルヒの珍事ならなんでもないというふうだった。喜緑さんが時間と場所を教えて、朝比奈さんが一匹ずつ送る、というのをやってもらってようやく庭が片付いた。ついでにハルヒもジュラ紀あたりに送ってしまえばいい。さて、糞やら鳥の羽やらにまみれた庭を掃除するか。 ニコラウス氏は熱燗の日本酒を煽ってほろ酔い気分になったところで、北海へご帰還の途についた。長門とおばあちゃんのおかげで、デンマークとの外交問題は平和裏に幕を閉じたようだ。日本酒が気に入ったようで、来年もまた来ると言っていた。トナカイだけは最後まで機嫌が悪かったが。日本の芝はそんなにまずかったか。 「いろいろ試してたんだけど、ひとつだけかなわない願いがあるのよね……なぜかしら」 ハルヒがブツブツ言っていた。そんなことは俺の知ったことじゃない。お前、魔法はやたら使うもんじゃないとか説教垂れてなかったか。 「ハルヒ、願い事をするときは前もって相談しろ」 「なんであんたにそんなことを言われなくちゃならないのよ」 「お前の尻拭いで三人が苦労するのが目に見えてるからだ」 つい、言ってしまった。率直に言いすぎたかと思ってハルヒを見た。 「分かったわよ……」 今回だけはおとなしく納得したようだった。まあハルヒが本当に望むなら、俺なんかに相談したりしないで独走するだろうが。 サンタと珍獣奇獣召喚の騒ぎが一件落着して、食堂のテーブルでお茶を飲んでいた。喜緑さんを泊めてくれるようおばあちゃんに紹介したが、ひとり増えたくらいどうってことないさね、と笑顔で承諾してくれた。 俺は誰にも聞こえないところまで谷川氏を連れて行って言った。 「今ちょっとややこしい事態なんです」 「だろうね。考古学者が見たら卒倒しそうだ」 「ハルヒはなんとかなるんですが、もうひとりの長門みたいなやつが現れて、俺たち襲われたんです」 「もしかして異時間同位体の有希ちゃん?」 「異次元、らしいです。別世界の長門みたいなやつで」 「なんてことだ」 「長門が言うには例の文庫はそいつらの仕込みだろうということなんですが」 「どう考えても友好的な接触じゃなさそうだね」 「ええ。それで喜緑さんに助けを求めたわけなんです」 「なにか僕にできることがあるかい?警備会社を呼ぶとか腕っ節の強い用心棒を雇うとか」 「相手が相手なんで、ふつうの防護策は効かないでしょう。長門と喜緑さんに任せたほうがいいかと」 「それもそうだね」 「長門のなんとかスクリーンのおかげでごまかせてはいるみたいなんですが」 「対情報操作用遮蔽スクリーンだね」 「それです。ともかく、今は様子見で」 「分かった。もしものときは僕に任せたまえ」 谷川氏は胸をドンと叩いた。頼もしい父親の顔を見て俺は安堵した。 古泉が飲んでいたお茶を突然吹いた。慌てて廊下を滑って走っていった。かと思うと、また戻ってきて俺に耳打ちした。 「神人です」 「また出やがったのか。ハルヒもタイミングの悪いときに出すやつだな」 「涼宮さんに頼みましょう」 「あいつは今どこにいるんだ」 「離れで寝ているはずです」 昼寝かよ。昼間っからいい気なもんだな。 「おい、ハルヒ起きろ」俺は襖を開けて怒鳴った。 ハルヒはコタツに潜り込んで眠っていた。肩を揺すったが起きやしない。顔にマジックでいたずら描きしてやろうか。耳を引っ張ってもう一度怒鳴った。 「ハルヒ、火事だぞ」 「うーん……消えたら教えて……」 「頼むから起きてくれ」 俺はハルヒの鼻をつまんだりほっぺたをつまんだりしていた。結構楽しいぞ、などと思っていた俺は油断していた。ハルヒが腕を伸ばして俺の首に絡めてきたのだ。ハルヒの呟いた言葉に驚愕した。 「ん……ジョン……」 これ、聞き間違いだよな。絡めてきた腕にギュッと締め付けられた。うわ、ハルヒの口から流れていたよだれが俺の顔にべっとりついた。まさかこの唾液で顔が溶けたりしねよーな。 後ろから誰かに首根っこをつかまれた。長門か、朝比奈さんか。ではなかった。 「げっ、お、おばあちゃん」 「キョンさん、眠ってる女の子においたはだめだよ。けへへっ」 俺はなにもしてませんって。むしろ襲われたのは俺のほうなんで。 「人が気持ちよく昼寝してんのに、なに騒いでんのよ」 ハルヒが目をこすりこすり起き上がった。おい、よだれ拭け。 「涼宮さん、可及的早急なお願いがあります」 「なあに古泉君」 「あれです」 古泉は窓の向こうに見える山を指差した。青空を背景にしているので目立たないが、神人がぼんやりと突っ立っている。 「あらっ、また出ちゃったのね。きっとあたしに会いたいのよ。かわいいやつだわ」 ハルヒは、まるでペットにじゃれられている飼い主みたいな面持ちで神人を見ていた。それどころじゃないんだが。 「ハルヒ、今すぐあいつを消してくれ」 「どうしてよ。あれはあたしのよ」 「ほかのときなら止めはせん。今はどうしてもまずいんだ」 「しょうがないわね。えっと、あれ、どうやって消せばいいのかしら」 ほかの三人が考え込んだ。あれを消せるのは確かにハルヒ本人だが、どうやって消すのかまでは知らない。古泉が立ち上がって外に出ようとした。自力で消しに行くつもりなのだろう。 「消えるよう念じてみろ」 「分かったわ」 ハルヒはこめかみに指を当てて、眉間にシワを寄せて唸った。 「うーん。どうかしら」 「消えませんね」 「もう、世話が焼けるわね」 ハルヒは部屋を出て、外にあった下駄を履いて庭に出た。空を指差して叫んだ。 「ちょっとあんた!今は都合が悪いから消えなさい」 神人がじっとこっちを見た。おまえが呼んどいて消えろはねえだろ、とでもいいたげだった。 「ねえ、あとで遊んであげるから戻りなさい」 戻るつったって、壷から出てきたわけじゃあるまいし。神人は背中を曲げてうなだれ、手を振って消えていった。青い光が四方に散った。やれやれ、今日が快晴でよかった。 「キョン、あとで謝っときなさいよね。かなり残念がっていたわよ」 そういうのは飼い主のお前がやることだろう。 俺は長門と喜緑さんに小声で話し掛けた。 「あれ、あいつに見られたよな」 あいつってのは情報生命体αのことだ。 「……そう」 「しばらく警戒が必要ですわね」 長門と喜緑さんは門のほうへと歩いていった。俺もついていった。重たい木戸を閉めてかんぬきをかけ、通用口から外に出た。 「……区画一帯をフィールドで包む」 長門は屋敷に向かって詠唱を始めた。手のひらから風船のような薄い膜が広がり、二十メートルくらい膨らんで見えなくなった。それ以外は特に変化はなかったが。 「これでしばらくはごまかせるはずですわ。谷川さんにも、おばあちゃんにも迷惑はかけられませんものね」 谷川氏にもしものことがあったら、作者がいなくなって俺たちの存在が危うくなってしまう。おばあちゃんにもしものことがあったら、飯が食えなくて俺たちの存在が危うくなってしまう。 とりあえず安心した俺は通用門に入ろうとした。そのとき、よく知っているはずの誰かの存在感を感じて後ろを振り返った。 四章へ
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*長門有希の憂鬱IV ---- 「お前のために世界を失うことがあっても、世界のためにお前を失いたくない」 ジョージ バイロン **もくじ -[[プロローグ 長門有希の憂鬱IV プロローグ]] -[[一 章 長門有希の憂鬱IV 一章]] -[[二 章 長門有希の憂鬱IV 二章]] -[[三 章 長門有希の憂鬱IV 三章]] -[[四 章 長門有希の憂鬱IV 四章]] -[[五 章 長門有希の憂鬱IV 五章]] -[[六 章 長門有希の憂鬱IV 六章]] -[[七 章 長門有希の憂鬱IV 七章]] -[[エピローグ 長門有希の憂鬱IV エピローグ]] -[[おまけ http //www22.atwiki.jp/hiroki2008/pages/65.html]](外部リンク) **関連作品(時系列順) -[[長門有希の憂鬱Ⅰ http //w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/2553.html]] -[[長門有希の憂鬱II http //w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/2940.html]] -[[長門有希の憂鬱III http //w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/2999.html]] -[[涼宮ハルヒの経営I http //w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/3925.html]] -[[古泉一樹の誤算 http //w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/4501.html]] -長門有希の憂鬱IV **そのほか -共著:kisekig7LI nomad3yzec -イラスト:どこここ -連載期間:2008年9月28日~10月4日 **データ類 -[[青空文庫版 http //www22.atwiki.jp/hiroki2008/pub/archives/nagatoyuutsu_4_aozora.zip]] -[[プロット http //www22.atwiki.jp/hiroki2008/pub/archives/nagatoyuutsu_4_plot.zip]](Nami2000データ形式) Special thanks to どこここ このSSはTFEIキャラスレで連載されたものです ----
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(※これは長門vs周防、再びの続きです) 学校が夏期休暇にはいったかと思うと、九州地方沿岸に大型台風が発生した。徐々に北上の進路を映し出すニュース映像を観ていると、つくづく鬱屈した気分になる。そしてついにせっせと北上を続けた大型台風は、僕たち私たちの住むこの街にもやってきた。来なくてもいいのに。 天気予報によると今夜にも台風は我が家を直撃するらしい。今朝から尋常でない風が鳴き声のような音をあげて吹き荒れている。やれやれ。台風だか何だか知らないが、誰かさんのご機嫌を著しく刺激するようなことは、できるだけ控えてもらいたいのだ…。 部屋でおとなしく漫画などを読んでいると、下の階から母親の呼び声が聞こえた。悪い予感がしたものの、まさか無視をするわけにもいかないし、無視をしたからといって母親が俺への用向きを諦めるとは思えない。 ある程度何の用かは分かっていつつも、俺はだらだらと部屋を出て階下へ移動した。 案の定、母親の用件は俺の予想通り夕食の食材の調達だった。台風がくるから、あまり天候がひどくならないうちに買ってきてくれとのお言いつけだ。 こんな日に小学6年生の妹を買い物に行かせるわけにもいかない。母は家の台風対策で手が離せないし、父親は仕事で家にいない。となれば、お遣いの任務が達成できるのは現時点で俺だけということになる。まったく。消去法で言いつけられたら、反論のしようもない。 そんなわけで俺は手提げ袋と傘を持って家を出た。幸いにもまだ雨は降っていない。しかし風がかなり強い。暴風といっても良いレベルだ。その証拠に、さっきから目の前をどっかに貼ってあったと思われるポスターやゴミくず、立て看板などがごうごうと飛んで行く。 そういえばテレビを見ていると、今日の最大風速は35mとか言っていたような気がする。40mを超えたら人も飛ぶと思うのだが、身体の軽い人ならこれでも十分飛ぶかもしれない。現に俺も、重心を下げて前へ這うように歩くので精一杯の状態だ。 よく考えたらこれだけ風が強いんだから、俺が徒歩で出かけるよりも母親が車で出かけた方がずっと安全だし早いんじゃないだろうか。そう思うともう、ため息が出てくる。 また俺の目の前を大きな物体が風にさらわれて飛んでいった。強風だけでも身の危険を感じるんだ。その上、雨まで降ってくれるなよ。 「………大丈夫。降雨があるのは今日の15時以降。あなたが買い物を終えて帰宅するまでは雨は降らない」 気のせいだろうか。今、リアルな長門の声が聞こえたような…。ははは。さすがに幻聴だよな。まさか長門がこんなところにいるはずがない。まして、さっき俺の目の前を横切った物体が、長門である可能性なんて…… 俺がついと目をやると、街路樹の枝にからまる長門の身体が見えた。 「………うかつだった」 俺がなんとか街路樹の上から長門を引き下ろす。いつものように無表情な顔でそう言う長門だが、その表情にはわずかに悔しさの色が見てとれる。 その顔色が、俺の脳裏にまざまざと忌まわしき記憶を呼び起こさせる。そう。町内早食い大会、サウナ我慢大会で、余人には理解しがたいプライドをかけて骨肉の争いを繰り広げる長門有希と周防九曜の姿だ。 俺は今しがた助け出したばかりの長門を歩道に立たせ、その服についたよごれを払い落としてやり、じゃあ気をつけて帰れよ、と注意を促して歩き出した。俺はまだ任務続行中の身なんだ。 「………待って。私の話を聞いて」 すまんな、長門。お前の事情を聞いて親身の理解を示してやりたいのはやまやまなんだが、俺は一刻を争う重大任務の最中なんだ。もし俺がこの任務に失敗するようなことがあれば、俺の家族が大変な目に遭ってしまう。 また今度ゆっくり聞いてやるから、その時にでもな。できれば2,3週間くらい後がいいな。 「………それでは遅すぎる。それでは、世界が崩壊してしまうかもしれない。あなたはそれでもいいの?」 お前な。そのキーワードを出したら俺がほいほい言うこと聞くと思ってるだろ。そうわいかないぜ。ちょ、腕つかむなよ。俺はもうこれ以上、宇宙人同士のどうでもいい諍いに巻き込まれたくないんだ。プライベートなことは自分で責任を負える範囲にとどめておきなさい! どうせまた、何かの競争で周防に負けそうだとかいうんだろ? 「………分かっているならば話が早い」 話を早めようと思って言ったわけじゃないんだよ。大体さ。俺よりも古泉に相談した方がずっと力になれると思うぜ。俺は輝かしい何かの賞を受賞したこともないし、そういった華々しい経歴とは無縁の人間だ。大した助力になんてなりやしないぜ。 「………あなたのその反応は、予想できていた。だから既に古泉一樹には連絡を済ませてある。涼宮ハルヒと朝比奈みくるについても同様。後は、あなただけ」 ふと、俺は道路の反対車線側の歩道を見た。意図したわけじゃない。ただ長門とのやりといの中で顔を動かしていたら偶然、視界にはいってきただけだ。 反対車線側の歩道では、古泉とハルヒが街路樹の枝にひっかかった朝比奈さんをなんとか助けようとしているところだった。 あれから3日後。台風が過ぎて以降、雨が降ることもなく暑苦しい晴天の日が続いている。こんな日は夏休みの宿題の存在自体を忘れてダラダラと自室のクーラーの下でアンニュイしていたい気分だったのだが。 例によって俺たちは、またハルヒの号令一下、SOS団として集合することと相成った。 いや、号令を下したのはハルヒで合っているのだが、その集合の原因をつくったのは誰であろう、長門だった。他でもない。これはまたあの、長門vs周防の続投なのだ。 「いいわね、みんな。気合を入れて行くのよ!」 元気だけがとりえであることをつくづく感じさせるハルヒの激励を受け、古泉は幇間然としたスマイル。朝比奈さんも少し楽しそうなにこにこ顔。当の長門にいたっては無表情ながらも、その目からはやる気という名の闘志が音をたててあふれている。 やれやれだ。 長門と周防の宇宙人対決に立ち会うのはこれで3度目だが、今回の戦いの舞台は町内スタンプラリーだ。 なにをするかと問われれば、ルールは到って簡単。町内の各所を回り、どこかに設置されている関所に行き、そこで出されるクイズに答えてスタンプをもらう。タイムアタックで1番最初に全10個のスタンプを集めたチームが勝ち、というものだ。 前回、前々回の戦いは長門と周防の1対1、タイマン勝負であったにも関わらず、今回はなぜチーム戦なのか。何ゆえ最初から俺たちが巻き込まれること前提の競技内容であるのか。是非、オリエンテーリング終了後に長門に問い詰めてやりたいと思う。 「楽しければそれでいいじゃない! みんな、これはSOS団が力をあわせて乗り切るべき試練なのよ! 他の参加チームの連中に、私たちの結束力をみせてやるのよ!」 「だいぶ張り切っているようじゃないか。その調子で、全力投球でラリーに臨んでくれたまえ。相手は手ごわい方が張り合いが出る」 円陣を組むSOS団の背後から、我々を呼び止める声がする。聞き覚えのあるその声につられて振り返ると、そこには大き目の帽子をかぶった佐々木が立っていた。 そうか。今回はチーム戦なんだ。周防九曜が徒党を組むとなったら、この連中しかいないものな。 「─────」 無言で佐々木の脇にひかえる周防。 「あら、お久しぶりね、古泉さん。お元気? 森さんとは仲良くやっているかしら?」 橘京子。 「くだらんな。この宇宙人に頼まれて来てみれば、お子ちゃま向けのフィールドワークか? 実にくだらないな」 藤原。 何故だろう。小馬鹿にしたようなセリフとは裏腹に、4人分の水筒やタオルを一人で背負っている藤原が一番楽しそうに見えるのは。 「まあ、他の勢力との付き合いもあるしな。仕方なく、人数あわせに来てやったんだ。ありがたく思えよ宇宙人」 古泉と橘。長門と周防。朝比奈さんと藤原。すでに相対する勢力同士の無言の戦いが始まっていた。それに気づいていないハルヒと、気づいてはいるものの無視して飄々としている佐々木が、お互い呑気に挨拶を交わしている。 しかし今はその姿が、とても頼もしく見えた。 スタンプラリー開始から1時間が経過する頃には、我々SOS団は他チームの追随を許さないスピードでスタンプを集めまくり、早くも9個のスタンプを集め終えていた。 「これも、SOS団として町内不思議探索を行っていた成果ね! だいたいどのあたりに関所が設けられているか想像がつくもの。関所の場所さえ分かれば、スタンプを獲得するのなんて簡単なことよ!」 SOS団の勝利を信じて疑わないハルヒは、高笑いを上げながら道路の歩道を歩いていた。しかし、ハルヒの言うことももっともだ。毎週のように無駄なことばかりしていると思っていたが、まさかこんなところであの無意味探索に意義が表れるとは。 やはり人生に無駄な経験などひとつもないということだろうか。 まあ、俺にとってはこのスタンプラリーへの参加自体が無駄な行為といえなくもないのだが。でも、家でクーラーにあたりながらゴロゴロと怠惰に過ごすよりはずっと健康的か。 それに、なんだかんだ言っても仲間たちと一緒にひとつの目標に向かって行動するというのは、楽しいものだしな。 「それにしても、10個目の関所はどこにあるのでしょうか」 腕を組んであちこちに目配せをする古泉だが、それらしい物を発見するには至らないようだ。 「心当たりの場所には、もう行き尽くしましたし…。どこに行けばいいんでしょうか」 小ぶりな麦藁帽子をかぶった朝比奈さんが、小さくあくびを漏らす。これだけ探しても最後の関所がみつからないんだ。緊張がゆるんでくるのも仕方ないことだ。 「あれ、キョンじゃないか。1時間ぶりだね」 佐々木じゃないか。お前らもここに来てたのか。 「ああ。スタンプを9個集めることに成功したんだが、最後の関所が見つけられなくてね」 へえ。そっちも9個集めたのか。俺たちもなんだ。しかしいくら探しても、10番目の関所が見つからずに困っていたんだ。 「9個集めたチーム同士なんだ。せっかくだから、最後の関所で直接対決といかないか? レクリエーションなんだ。こういった演出的ハプニングが起こった方が、参加者も見学者も楽しめて面白い趣向になるんじゃないかな?」 佐々木はくっくっと、のどの奥で重低音ボイスのスズメがさえずるような独特の笑いをもらした。 「そうね。こうして9個スタンプが集まった者同士、対戦風に優勝を争った方が面白そうだし! みんなもそう思うでしょ?」 佐々木とハルヒがこう言っているんだ。その配下の我々が、異論など口にできるはずもない。 俺としても、ただただスピードのみを競ってこの暑い中、あてどもなく走り回るのは勘弁してもらいたい。最後の関所の位置も分かっていないんだからな。 「こんなところに居たんだ。探したよ」 メンチを切りあう長門と周防をどう扱ったものかと悩んでいると、道の先から国木田がやってきた。よう国木田。終業式以来だな。どうしたんだ、俺たちに何か用か? 「そうなんだよ、キョン。おや、そっちにいるのは佐々木さんじゃないか。久しぶりだね」 「そういうキミは国木田くん。長いこと会っていなかったような気がしたが、君もキョンと同じく変わっていないね。中学3年の頃と。嬉しい限りだよ。自分の記憶と現実との間にギャップが小さいというのは、安定した心持でいられる」 「そういう佐々木さんも変わっていないね」 にこやかに再会を喜び合っているところ悪いんだが、どうかしたのか国木田? 「ああ、そうだった。スタンプを9個集めたチームが2組いるけど、いつまで待っても最後の関所へ現れないからさ。待っているのが面倒になって呼びにきたんだよ」 呼びにきた? お前がか? なんで? 「いやあ。実は僕、このスタンプラリーの進行役の末席に携わっているんだ」 そうだったのか。それは知らなかった。話が早くて助かるよ。 「それでは国木田くん。再会に際して積もる話も互いにあるだろうが、まずはこのスタンプラリーに決着をつけよう。いつまでもこんな暑い陽の下で歩き回っていたのでは健康を阻害しかねない。陽の光はビタミンCの合成や血流新陳代謝の促進などに欠かせないものだが、こう紫外線が強くてはいたづらに真皮層の蛋白質を変質させてしまったり目や皮膚などへの疾患を増進してしまうだけだ」 「それには僕も同意見だよ。それじゃ、早いところ行こうか。なに、心配しなくてもすぐに着くさ」 そう言って国木田はてくてくと元きた方向へ歩き始めた。おい国木田。その10番目の関所って、どこなんだ? 俺の質問を受けて、いたづらっ子のように微笑む国木田がふりかえって応えた。 「キョンの家だよ」 ああ、と俺は思わず声をもらしてしまった。朝、家を出た頃にはなかったのに。いつの間にか俺の実家の周りに、火事でもあったのかというくらいたくさんの野次馬が集まってざわざわと騒いでいた。 冗談だよな…。とはかない一縷の望みをかけて家に飛び込んだ俺。そこには、大挙して押し寄せる群衆に愛想笑いを浮かべたままぺこぺこと頭を下げる我が両親の姿と、楽しげにはしゃぐ我が妹の姿があった。 俺はまた、ああ、と声をもらした。 「やっぽー! おかえりなさいキョンくん! ちょろんと家を借りているよ! なに、ご覧の通りご両親には了解をとって承諾済みの上でのことだから何も心配いらないよっ!」 ……なにをやってるんですか鶴屋さん。正装してマイク持ってうかれているように見えますが…。 「そう見える? そう見える? いや~、実はそうなんだっ! 困ったね。この夏のスタンプラリー大会なんだけどね、なんと我が鶴屋家が主催なんだよね~。だから、なんかノリで私が司会をやることになっちゃってね! お姉さん参っちゃうな」 参っちゃってるのは俺の方ですよ。なんで鶴屋さん、俺の部屋から顔出してるんですか? 「だって、ここが割り当てられた司会者の立ち位置なんだから仕方ないじゃん。あ、でも安心するがいいっさ。ベッドの下は調べてないから。そこんところの空気は読んだつもりだよ~」 おおぉい!? 全然読めてないよ、空気読めてないよ! なんでこんな大勢の人の前でそんな誤解を受けるようなこと言ってるんスか!? マジで、マジで勘弁してくださいよ! 「安心しろ。ベッドの下は男の聖域だ。カミングアウトがあったとしても、誰も何とも思わないさ」 なんでちょっと優しいんだよ藤原。お前はもう黙ってろよ。なんていうか、お前が発言するごとにイラっとくるんだよ。頼むからもう帰ってくれよ。ていうか未来でもベッドの下かよ。もっといろんな意味で進歩しろよ未来の男。いや、男の未来。 「さあ、軽くデモンストレーションが終わったところで、本番にいっちゃうよ~! ちょっとした面白ハプニングのおかげで、なんとこの場に9個のスタンプを集めたチームが2組同時に集まったんだよね! これって、偶然の神様のおぼしめしだよねっ!」 鶴屋さんのマイクパフォーマンスでヒートアップする群集。もうどうでもいいからさっさと終わらせてくれよ…。テンション下がるわ…。 「本来ならこのスタンプラリーは早く10個のスタンプを集めたチームが勝利するスピード対決だけど、ここでもっともっとこのイベントを楽しめるよう、ルールをちょろっと変更しちゃうよっ! ここに集まった2つのチーム。今から出すクイズに正解して、10個目のスタンプを手に入れた方の組が、優勝チームとなるってのいうはどうかな!?」 さらに盛り上がる群集たち。なにしに来てるの、このヒマな人たち。 「おーし、みんな賛成してくれみたいだし。そういうルールで行こうと思うっさ! 両チーム、心の準備はOKかい!?」 もういいからさっさと始めてくださいよ。そしてさっさと終わらせてくださいよ。ああ、へこむわ…。 「おっといけない。もう一つ、この一戦を盛り上げるための追加ルールがあったのを忘れてたよ。実はもう一個、ルールが変更されるよ、みなの衆よく聞きな。今から両チームのリーダーの私物がここに用意されるよ。そして、負けた方のチームのリーダーの私物が、その場で爆破されてしまうという、とってもリスキーな掟っさ! どうにょろ? 燃えるっしょ?」 どうにょろ?じゃないですよ! 何で事前に断りもなしにそんなこと勝手に決めてるんです? おかしいじゃ……って、なんでおま、谷口! なんでお前が俺のMDプレイヤーを担いで来てるんだよ!? 「え? なんでって、さっき鶴屋さんが説明してたじゃんか。聴いてなかったのか? ダメだぜ、キョン。大事な話はちゃんと聴いておかないと」 お前に諭されるようなことは何ひとつとしてないよ。まさかお前、それを…… 「さすがキョンね! 進んでリスキーなルールに動じることもなく私物を奉じるなんて。私は感動したわ! そこまでSOS団のために滅私奉公精神を持てるなんて! いいわ。今日のこのラリーのチームリーダーの地位はあなたの物よ、キョン!」 おいハルヒ、自分が嫌な役を引き受けたくない時に限って俺を持ち上げるなよ! 「………安心して。あなたの心意気を無駄にはしない」 よく考えたらここで私物を出すべきは長門じゃないか。長門と周防がそれぞれチームリーダーとしてクイズ対決をやり合ったらいいじゃないか。だから巻き込まれるのは嫌だったんだよ…… ほら見ろよ。あっちのチームは周防が私物を出してるぞ。なんか長門よりも周防の方が常識が……ち、違う! 周防の私物じゃない! あれは佐々木の中学の卒業アルバム! 周防が勝手に、なぜか持っていた佐々木のアルバムを差し出している! どっちも腹が黒いな宇宙人! 「僕の中学生活3年間の思い出が荼毘にふされるのは残念だけれど、ルールじゃしかたないね」 反論しろよ、佐々木! それでいいのか? こんなリアクション芸人みたいなその場限りのノリ企画のためなんかに、大事な一生の思い出をかけてもいいのか!? 「まあまあ。落ち着きなさいよ、キョン。出しちゃったものは仕方ないじゃない。あれは敵チームの出した物よ。私たちがあれこれ口出しする権利なんて無いわ。私たちは、あなたのMDプレイヤーを賭けるだけ」 かなり納得できないんだが……。最悪だよ、もう…。 「………私から、提案がある」 一歩踏み出した長門が、2階の俺の部屋から上半身を乗り出す鶴屋さんに向かって話しかけた。 「………このクイズ対決には、私と周防九曜が出る。もし私たちの両方がクイズに正解した場合、賭けたMDプレイヤーと卒業アルバムは元の持ち主に返還してもらいたい」 長門。お前……。 「う~ん、他ならぬ有希っこのお願いなら無下に断るわけにもいかないなあ。いいっさ。もし2人ともがクイズに正解したら、その2つは無事返却することを約束するよっ!」 長門と周防が、うちの玄関前に設置された長机に着席する。頼んだぞ、長門、周防。クイズに正解してくれ。 ハルヒが俺の手をとった。朝比奈さんが俺の腕にふれ、微笑みかける。古泉が肩をたたき、大丈夫ですよとささやきかける。 そうだ。長門はあれでも、情報統合思念体の情報端末なんだ。周防にしても同じようなものだ。ありふれたクイズ問題なんか、ものともしないはずだ。 そうさ。俺はいつも長門を信頼してきたんだ。朝倉に襲われたときだって、カマドウマが出現したときだって。そう。いつもピンチをなんとかしてくれたのは、長門なんだ。 いつも体を張って俺たちを助けてくれた長門。そんな長門のことを、今信用しなくてどうする。必ず長門ならやってくれるはず。俺はそう信じるぜ! 長門と周防は、机上に用意されたホワイトボードとマーカーを手に持った。 「それではっ! 最終っ問題! 角川スニーカー文庫で絶賛好評発売中の大人気ライトノベル『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズの、ヒロインは誰!?」 周防『ささき』 長門『ながとゆき』 終わった。 俺の心に隙間風がぴゅーぴゅー吹いていた。俺の目の前では、今朝までは元気に音楽をかなでて俺の心を豊かにしてくれていたMDプレイヤーが、ぶすぶすと黒い煙をあげながら焦げついていた。 その横では、俺や佐々木、国木田たちの3年間の思い出がつまった卒業アルバムが、韓国のりの集合体みたいに黒こげ、ひらひらと煤を舞い上げていた。 「ははは……。やっちゃったね」 さすがに引きつった笑みを浮かべる佐々木。 「佐々木、くやしくないのかよ? もっと怒れよ。勝手に大事なアルバムを質にあげられた上に、不条理にも燃やされてしまったんだぜ!?」 「そうなんだけどね。起こってしまったことはしかたないよ。周防九曜を怒ったところで、僕のアルバムが復元されることはない。一度燃えてしまったものは、水をかけたって元には戻らないんだよ? そう。人の心の中にある思い出と同じさ」 それはそだけどさ。こういうことって、理屈じゃないだろ? 辛いことを仕方がないって、理屈で我慢してたって、何もいいことないぜ? 怒るべき時は怒った方がいい。 「残念であることには変わりないんだけれどね。実は僕、中学の卒業アルバムを2冊買っていたんだ。普及用と保存用に。家に帰れば保存用がもう1冊あるんだ。だから、別に腹も立っていないよ。むしろ、なかなか派手な爆破で面白かったとさえ思えている。よかったよ。卒業アルバム2冊買っていて。中学時代の思い出だけでなく、みんなと共にがんばったスタンプラリーの思い出もできたんだから」 ぞろぞろと引き上げていくSOS団や周防たちの後ろ姿を見ながら、俺は呆けたようにMDプレイヤーだった物に手をあてた。 じゃ、僕はこれから塾があるから。と言って、佐々木もみんなの後に続いて我が家の前から去っていった。 早く夏、終わんねぇかな……。 ~完~
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(山口県)長門(日置)郵便局 郵便番号:〒759-44 集配地域:山口県長門(ながと)市の旧・大津(おおつ)郡日置(へき)町域。 1.jpg (山口県)日置郵便局局舎 2.jpg (山口県)日置郵便局取集時刻掲示 達成状況[20**年*月**日現在] 普通のポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 コンビニポスト ●マッピング済**本。撤去**本。 ポスト考察 ●編集中 ポスト番号考察 ●編集中 設置傾向考察 ●編集中 取集時刻考察 ●編集中 取集ルート考察 ●編集中 時刻などの掲示 ●編集中